9月に愛知県で開催するアジア大会のカヌースプリント競技の競技責任者である田村一樹さん
2026年9月、国内では32年ぶりの開催となるアジア競技大会。そのカヌースプリント競技会場となる愛知県みよし市で、競技責任者の重責を担うのが日本カヌー連盟の田村一樹さんだ。中学時代からこの地の水辺でカヌーに親しみ、選手、審判、そして運営のスペシャリストとして歩みを重ねてきた。地元・みよしへの愛着と、9月の本番へ向けて燃える静かなる情熱。その胸の内に耳を傾けた。(取材・記事/大楽聡詞)
始まりは「珍しさ」から――選手から運営の道へ
――カヌー競技の出会いについて教えてください。
田村:きっかけは中学1年生の時。地元のみよし市立三好中学校のカヌー部に入ったのが始まりです。もともと「水が好きだった」のと「珍しいからやってみよう」という好奇心からでした。
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それまでは遊び程度に水泳やサッカーをやっていましたが、何かを極めたいというよりは、「新しい面白いことに挑戦したい」という気持ちが強かったんです。
――中学、高校と実績も積まれてきたのでしょうか?
田村:中学の時の全国大会で7位、でも入賞が6位までだったので、それがものすごく悔しくて……。その悔しさをバネに高校でも続けました(笑)。
みよし市内にカヌー部のある高校が三好高校以外になかったため、愛知県立豊田西高校に進学してからは地域の「三好カヌークラブ」に所属。学校が終わるとクラブに皆が集まり、練習に明け暮れる日々を送りました。
――専門とされていた種目は何だったのでしょうか。
田村:カヌースプリントのカナディアンです。立ち膝で漕ぐスタイルが単純に「かっこいいな」と思って始めました。実は、種目を決める大事な日に風邪で休んでしまい、後日先生から「お前は以前これ(カナディアン)を練習していたから」と、数合わせのような形で決められたという裏話もあるのですが(笑)。
――その後、名古屋大学に進学されます。そこでも競技は続けられたのですか?
田村:いえ、進学当初はそれほど競技を続けるつもりはなかったんです。それよりも、「お世話になった母校やカヌークラブをサポートしたい」「カヌー界を支えたい」という気持ちの方が強かった。ところが、いざ水の上に出るとやはり楽しくて、結局は地元の高校生を指導しながら自分も一緒に漕いでいました(苦笑)。
――その環境が、今の「運営」というキャリアに繋がっていくのですね。
田村:そうですね。もしカヌー部のある強豪大学に進んでいたら、自分の結果だけを追い求めていたはずです。しかし私の場合は、高校生の大会運営を手伝う機会に恵まれました。それが審判や運営という仕事の面白さに触れた最初の入り口です。そこから実績を積み、国内最高峰の審判資格に挑戦したことが、本格的に「大会運営」の道へ踏み出す決定打となりました。
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