リオデジャネイロ五輪で日本人初の銅メダルを獲得した教え子、羽根田卓也選手と(2016年撮影/本田氏提供)
杜若(とじゃく)高等学校カヌー部から、リオ五輪で日本人初のメダルを獲得した羽根田卓也選手が羽ばたいていった。本田泉氏は、その輝かしいキャリアの原点となった、ある「光景」を今も鮮明に覚えている。
第2部では、羽根田選手とその家族との絆、そして杜若高校が全面的にバックアップした当時の支援体制について深掘りする。さらに、長年育成の現場に身を置いてきた本田氏が危惧する、日本カヌー界の構造的な課題――「競技を続けること」の難しさ。トップアスリートを輩出し続けるために必要な「環境と文化」とは何か。その核心に迫る。(取材・記事/大楽聡詞)
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■羽根田卓也を支えた「環境」と「父の情熱」
――本田さんが築かれた土壌から、リオ五輪銅メダリストの羽根田卓也選手も輩出されました。彼との出会いについて教えてください。
本田:卓也くんについては、お父さんの存在が大きいですね。羽根田家はご兄弟がカヌーをされていて、2000年に長男・翔太朗くんが杜若高校に来てくれました。
当時は男子校でしたが、彼もまたスラローム・カヤック競技のジュニアで日本一になるような素晴らしい選手だったんです。
第3回江戸川区羽根田卓也杯カヌー大会開催「チャレンジしたい気持ち、仲間との絆を大切にしてほしい」
――お兄さんの背中を追って、卓也選手もカヌーの道へ進んだのですね。
本田:卓也くんがカヤックからカナディアン(両膝をついて漕ぐスタイル)に転向したのは、お兄さんの存在があったからかもしれません。
3つ違いで中学生だった卓也くんが、同じ種目でお兄さんという高い壁に挑み続けるのは酷ではないか……そんな思いもあったのでしょう。
ある日、お父さんが岡崎の練習場でカヌーにシートを貼り付けて、卓也くんを座らせているのを、私もすぐ横で見ていました。あの時から「カナディアン」としての卓也くんの歩みが始まったんです。
――アジア初のオリンピアン誕生の瞬間を間近で見守られていたのですね。
本田:杜若高校としても、彼のような才能を全力で応援したかった。幸い、学校側も理解があり、カヌー部員が日本代表となった際の負担金などに対し最大限の支援をしてくれました。
卓也くんが後にスロバキアへ渡り、アジア人として前人未到のメダルを獲得したことは私にとっても大きな誇りですが、それは彼自身の努力と、それを支え続けた家族の絆、そして学校のバックアップがあったからこそだと思います。
