プロのリフティングパフォーマーであったWasse(早稲昭範)は2017年にテックボールと出会い、その可能性を確信して日本での挑戦を決意する(写真/本人提供)
サッカーでもない、卓球でもない。湾曲した台でボールを打ち合う新競技「テックボール」が注目を集めている。手以外の部位を使い、バレーボールのように最大3タッチ以内で返球。今回は、元ギネス世界記録保持者であり、日本代表として世界と戦う日本テックボール協会代表理事の早稲昭範(わせ・あきのり)氏にインタビュー。「最初は簡単だと思っていた」と語る彼が、この競技に人生を賭けた理由と、その魅力に迫ります。(取材・記事/大楽聡詞)
◼️運命の出会いと、リフティングへの情熱
――テックボールという競技が日本に導入されたきっかけについて教えていただけますか。
早稲:この競技が日本に初めて導入されたのは2017年のことです。もともと2012年にハンガリーで考案されたスポーツなのですが、きっかけは私の前任代表理事が、2014年のブラジルワールドカップシーズンに海外のテレビ番組で「今後、これが流行るかもしれない」という特集を偶然目にしたことでした。
当時、「これを日本に導入したい」という強い思いで、発祥地であるハンガリーの組織にアプローチしたんです。交渉を重ね、ようやく日本初となる専用台(テックボード)を購入し、普及への第一歩を記したのがすべての始まりですね。
――早稲さんご自身は、元々サッカーをされていたのでしょうか。
早稲:小学生から大学までサッカー一筋で、プロサッカー選手を目指していました。しかし、高校時代に相次ぐ怪我に見舞われまして……。
成長期と重なったこともあり、両腰の骨折、外側側副靭帯断裂、さらに貧血にも悩まされ、3年間のうち2年間は怪我との戦いでした。そこで選手としての道は断念せざるを得なくなりました。
――それは苦しい時期でしたね。そこからどのように今の活動に繋がっていったのですか。
早稲:サッカー選手としての夢は絶たれましたが、サッカーに携わる仕事がしたいという思いは消えませんでした。そこで、自分が圧倒的に好きで得意だった“リフティング”を仕事にしようと考えたんです。
当時はまだ名前も定着していませんでしたが、後に「フリースタイルフットボール」と呼ばれるようになるジャンルですね。
19歳の時にNIKEから本とDVDを出版させていただき、そこからプロのフリースタイルフットボーラーとして活動できるようになりました。
Jリーグのハーフタイムショーや、目標だった天皇杯決勝の舞台でパフォーマンスを披露することもできました。プロのリフティングパフォーマーとして、新たな夢を叶えることができたんです。
