中嶋千尋プロの紆余曲折・波瀾万丈なゴルフ人生とは…
1985年にプロテストに合格し、日本女子プロゴルフ界にデビューした中嶋千尋プロ。1988年の「ダンロップレディスオープン」で初優勝を飾ると、その後も日本ツアーで通算4勝を挙げ、日米の舞台で活躍。特に1998年の「健勝苑レディス・道後」での優勝は、当時の歴代最長ブランク記録を更新する劇的な復活劇として、多くのファンの記憶に深く刻まれている。そんな波乱に満ちたゴルフ人生を歩んできた中嶋プロの半生を5回に渡って振り返る。今回は類まれな才能を開花させた型破りな幼少期から、彼女の原点に迫ります。(文中敬称略)
◼️幼少期、両親の型にはまらない無償の愛に育てられた
――小さい頃はどんな子どもでしたか?
中嶋:子どもの頃は、本当に「いるかいないかわからないような」おとなしい子でした。友達はたくさんいましたが、特に小学1,2年生の頃、積極性がなくて先生に当てられて立ち上がると顔が真っ赤になって、めちゃくちゃ小さな声でしか話せなくて。いつも先生から「声が小さすぎます」と言われていました。
――学校では中心的な存在ではなかったのですね。
中嶋:ええ、もう全くです。存在感のない子どもでした。それに父の仕事の都合で転校が多かった。ですから小学1、2年生の時に東京で一緒だった同級生は、今の私と同一人物だと気づかないんじゃないかと思います(笑)。
――転校先ではどうでしたか?
中嶋:特に何も考えず、転校先には自然に馴染んでいました。転校に対して身構えることも思いつかず、「ただただ自然体でいるうちに溶け込んでしまった」としか言いようがないですね。
