中嶋千尋プロの紆余曲折・波瀾万丈なゴルフ人生とは…
◼️運動は大好きだけどビリだった子供が、スポーツ万能選手へ
――おとなしい子どもだったとおっしゃっていましたが、運動はされていましたか?
中嶋:運動もビリでした。ただ父の影響なのか、3歳でまだ泳げないのに、人の後を追って「泳げる!」と思って飛び込むような子でした。もちろん溺れて人に助けられるんですけど(笑)。
――でも、そこから一気に変わっていったんですよね。
中嶋:はい。小学3、4年生の時に、東京から埼玉の田園風景が広がる田舎に引っ越したんです。それまで身体が弱く、いつも耳鼻科、皮膚科に通っていましたが、埼玉で一気に健康になりました。友達と野山を駆け回り、小川の中を歩き、健康になっていくと同時に運動能力が上がっていったんです。
――環境が中嶋さんを変えたのですね。
中嶋:勉強もスポーツもビリから真ん中くらいになりました。ただ、足が速くなってきたのに、歩幅が大きすぎてピッチがめちゃくちゃ遅いという、変わった走り方でした。その走り方を見た友達に笑われていたのですが、「みんなが楽しそうにしてるから、人気者になった!」と私は勘違いしていました(笑)。
――自己肯定感がめちゃくちゃ高いですね!
中嶋:笑われているとは全く思っていなかったので、ご機嫌で走っていました。その頃通っていた学校は、「宿題がなくて、自宅に教科書を持ち帰ってはいけない」という学校だったので、行き帰りは手ぶらで遊び放題。どんどん運動能力が上がっていきました。
小学5年生で、今度は海のある小田原に引っ越しました。父と弟と海に泳ぎに行って、スポーツをなんでも夢中になってやっているうちに心肺機能も鍛えられました。
