ゴルフのスキルアップのコーチではなく、人生に生きる思考を、ゴルフを通して伝える教育者のように見える
ゴルフというスポーツに人生を捧げながらも、選手として最も辛い時期を経験した中嶋千尋。その苦悩は、やがて彼女のゴルフ人生に、そしてその後の指導者としての道に、大きな光をもたらした。#4では、約10年ぶりとなる奇跡の復活優勝の裏にあった、彼女の強い意志と感謝の思い。心と体の状態を根本から見つめ直すことで、2勝。そして40歳にして自己ベストを更新するという驚きの経験を語る。指導者としての中嶋千尋は単なるゴルフのスキルアップのコーチではなく、人生に生きる思考を、ゴルフを通して伝える教育者のように見える。ゴルフのスキルにおいても本質を掴む彼女の洞察力にも迫る。(文中敬称略)
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◼️復活の原動力となった「優勝インタビュー」
――1998年の「健勝苑レディス・道後」で約10年ぶりの復活優勝を果たしましたね。
中嶋:あの優勝は本当に奇跡でした。「優勝インタビューでお礼を伝える」。この強い一念が、どん底で這い上がれず挫折しそうになっていた私を何年も支えてくれました。特に心が折れそうな時には、ジョギングの際に優勝インタビューの練習をしていました。感情移入して涙がとめどなく溢れ、人が通るとごまかすのに苦労しました。しかし、この練習をすることで「このままでは終わらない、必ずやる!」と心が強くなったのです。
――「優勝して感謝を伝える」という思いが中嶋さんを10年間支え続けたのですね。
中嶋:粘ってはいたものの、体は辛くなる一方で好転の兆しが見えない。1998年のシーズンを最後にしようと決め、オフシーズンに万全のリハビリと準備をしました。
開幕すると1戦目、2戦目、3戦目と予選落ちが続き、「ボキッ」と音が聞こえるほど心が折れました。「もうやめよう」「本当にやめていいの?」「もう力は湧いてこない」「でもやめてどうするの?」と自問自答が2週間、堂々巡りを続けました。
答えが出ないまま4戦目の「健勝苑レディス・道後」の週を迎えました。プロゴルファーの性なのか、移動日になると体が動いてしまう。不謹慎かもしれませんが、本当になんとなく羽田に行き、大会の開催地・愛媛県松山に向かいました。ゴルフ場に着くと、流れのまま練習ラウンドに入りました。記憶に残っているのは、空が真っ青で綺麗だったことと、ポカポカ陽気で風が非常に心地よかったことだけでした。
そして試合が始まって初日・2日目と、これもまた記憶にありません。これまでは自分の意思で決めて行動するという人生だったので、これほど流れに身を委ねたのは初めてでした。
