初優勝はプロ3年目の1988年6月のダンロップレディースオープン
「プロになる!」――その決意はわずか5秒で固められた。中嶋千尋プロが、初めて握ったゴルフクラブで放った一打。その一瞬の輝きが、父の言葉と結びつき、彼女の人生を大きく動かした。何をやってもビリだった彼女がスポーツ万能になり、やがてプロゴルファーへ。2回目はプロを目指し高校進学から、プロテスト合格、そしてプレーオフの末に初優勝を飾った1988年6月のダンロップレディースオープンまで。(文中敬称略)
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◼️プロゴルファーへの道、運命の5秒
――そんなスポーツ万能な中嶋さんが、ゴルフに出会ったのはいつですか?
中嶋:中学3年生の時です。バスケ部と陸上部と水泳部を掛け持ちしていた頃に、父が「ゴルフの練習に行ってみるか?」と誘ってくれたんです。私は「行く行く!」と、海に泳ぎに行くような遊び感覚でした。ゴルフというもの自体も全く知らなかったので、ゴルフクラブも触るのも初めて、握り方だけ教わって、あとは好きなように振ってみたら、たまたま当たってものすごく飛んだんです。その瞬間、父が「凄いな!千尋ならプロになれる!」と。その言葉に「うん、プロになる」と答えました。その瞬間から「プロになるんだから・・・」と、妄想が始まりました。
――どのような妄想ですか?
中嶋:18歳でプロになって、活躍して、あっ!プロだから賞金がある!その賞金で両親に家をプレゼントするという妄想。それを想像したら、嬉しくなって鼻血が出そうなほど興奮しました(笑)。「最高の親孝行の方法を見つけた!」と、もうテンション上がりまくりでした。そして、華々しく結婚して引退という…引退までのストーリーをゴルフと初対面から20分足らずで思い描いていました。
――家族への愛と、未来への希望が、中嶋さんを動かしたのですね。
中嶋:翌日、学校で「私、プロゴルファーになる!」と宣言しました。クラスのみんなもゴルフを知らない。でも「千尋ならなれるよ!」と盛り上がって「なら、サインがいるよね!」とサイン考案が始まったんです!
我が家には父と一緒にゴルフに行けるような経済的余裕がなかったため、私がプロになってから初めて父とコースに行きました。そこで驚愕の事実が判明! 父はめちゃくちゃ下手でした(笑)。その父の「プロになれる」という言葉を信じた自分にも堂々と言い放った父にもビックリでした。
