【シダックス 梅沢直充】野村さんがきてチームに「好循環現象」が生まれた(第二回)

――前半は道徳を学ぶわけですね。奥が深い・・。ところで野村監督時代、梅沢さんはどういう仕事をされていたのですか?

梅沢:監督付きのマネジャーです。広報兼、運転手兼。まさに「おはよう」から「おやすみ」まで、監督の身の回りのことを全てお世話させて頂きました。午前中は練習や試合に全て帯同。午後はテレビ、ラジオ、新聞などで評論やバラエティの仕事。

――あの頃野村さんはメディアによく出ていましたよね。何時まで仕事していたのですか?

梅沢:番組収録が長引くと深夜1時過ぎることもありました。その後、監督が定宿にしていた新宿のホテルにお連れしてから、調布にある選手寮に戻ります。予期せぬ予定も当日入る。沙知代夫人から「今日は雑誌の取材よ。試合が終わったら赤坂プリンスホテルに連れてきてね」みたいな感じで唐突に電話がくる。ほぼ毎日、そのサイクル。何もない日は会社に出て、経費の精算やスケジュール調整などのデスクワーク。1年間を通じて休みはほぼありませんでしたね。監督がシダックスにいた3年間で私の歯がだいぶダメージ受けました。その日の予定が読めないから、歯医者の予約が取れないし、取ってもいつもキャンセル(苦笑)。

――その時期、車の中にいた時間が一番長かったですね。

梅沢:そう言われてみればそうですね。3年間で10万キロ走りました。毎日、監督と濃密な時間を車の中で多く過ごすことで、野球のことからプライベートなことまでいろんなことを教えて頂いた3年間でした。遠距離となると、往復で数時間も密室の中で二人きり。ボヤキも聞いたし、イビキも聞いたし(笑)。

――梅沢さんはどんな車を運転していたのですか? ヤクルト監督時代のごっついベントレー??

梅沢:まさか(笑)。監督車として調達した黒塗りの日産セドリックです。あ、そういえば日大・鈴木監督の車もセドリックだった。いい車でしたよ。何かの縁ですかね(笑)。

――シダックスは野村さんが監督になったことで何が変わりましたか?

梅沢:「あの野村監督から教わっている」という自信と、「世間から注目されている」という緊張感が、選手の意識変革をもたらしたのではないでしょうか。勝利を重ねていくと「監督の言っていることは正しい」「監督の教え通りにすれば負けない」と思うようになり、次第に監督と選手の間で信頼関係が芽生え、チームにも好循環現象が生まれた。それは03年の都市対抗準優勝に如実に現れていましたね。

――監督就任前のシダックスは「負のスパイラル」。それをたった数ヶ月で「好循環現象」にしてしまう野村さんはやっぱりスゴいの一言ですね。そんな野村さんも05年にプロ野球・楽天から監督就任要請があり、その年でシダックスを離れます。その1年後、06年にシダックス野球部は廃部になりました。

梅沢:06年の都市対抗予選で敗れて、廃部が決定しました。その前から「都市対抗に出場しなければ廃部」と会社から条件が出されていて、まさに背水の陣でした。

野村さんのあとを受け継いだ田中善則監督が、廃部決定後に在籍していた選手と面談し、ほとんどの選手が「野球を続けたい」と希望して。田中さんは全国いろんなチームに足を運び、頭を下げて、みんなの移籍先を確保しました。

<第三回に続く>

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<プロフィール>
梅沢直充 / うめざわなおみつ
東京都中野区生まれ。中学1年で野球を始め、日本大学在学時にマネジャーとなる。
シダックス入社後、野球部のマネジャーとなり、野村克也監督時、監督付きマネジャーとして常に行動を共にする。その後、野村氏が楽天監督時にもマネジャーを務める。
現在、シダックス株式会社 最高顧問室 (志太勤・取締役最高顧問秘書)。
一般財団法人全日本野球協会 国際事業委員会 ラバーボール普及検討部会委員。
一般財団法人日本中学生野球連盟 理事 事務局長。

取材・文/北野ジン
編集/大楽 聡詞

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