【シダックス 梅沢直充】野村さんがきてチームに「好循環現象」が生まれた(第二回)

――そんなどん底のときに、野村克也さんが現れました。

梅沢:02年秋、5大会連続で出場を逃して、社内で廃部の噂が流れました。とにかく志太会長が激怒し、「勝てないなら辞めてしまえ」と。それで選手・スタッフ全員が会議室に集められ、「これからどのようにしたら勝てるのか」と反省文を書きました。

そんな時期に野村克也さんがやって来た。実は、当時マスコミで報道されていなかったのであまり知られていないのですが、02年2月の中伊豆でのキャンプの際に、野村さんが臨時コーチとして参加されました。前年12月に阪神の監督を辞任したばかりの方が、我々の目の前にいるのが信じられませんでしたが、まさかその年のオフに正式にGM兼監督に就任するとは、誰1人思わなかったですね。あれよあれよという間に就任記者会見が行われ「本当に監督になっちゃうんだ」と。

――あの頃、野村さんがシダックスの監督に就任し各スポーツ紙の一面を飾っていましたよね。

梅沢:就任後の初日の練習や、キャンプイン当日にはテレビ、新聞、通信社などの報道陣が何十人と押し寄せました。日頃の練習や試合にも、監督の旧知の番記者やアマチュア担当など誰かしら必ずいましたね。シダックスの会社としての宣伝効果は計り知れなかったと思います。

――野村さんは野球選手の中で捕手の地位が低かった時代に、頭を使ってスコアラーの研究をリードに生かし、捕手というポジションの重要性を確立して地位を向上させた、と聞いたことがあります。ID野球で細かく選手に指示を出したりする野村さんはミーティングが長いと聞いたことがありますが…

梅沢:キャンプ中で毎日約1時間、シーズン中も試合後などはそこそこ長かったですね。監督は「野村野球は準備野球」とよく言っていました。ID野球とは、相手を攻略するための情報を収集し、それを徹底的に分析して実戦に活かすこと。その「情報収集」と「分析」が、「準備」のうちの一つなんです。ただ、社会人野球はトーナメント戦。相手が毎試合変わる。研究対象のチーム数が多いし、各チームのデータも少なすぎるので、「準備」が難しい。だからミーティングの内容は、事前の対戦相手の攻略法というよりも、試合後の反省会みたいなことが多かったですね。当時、監督は68歳で「社会人野球はデータが無いから、目の前の試合を見ながらその場その場で瞬時に対策しないと。だからボケ防止には最高だよ」と言っていました(笑)。

――野村さんから分厚いファイルを渡され、それを元にミーティングが進められたそうですね。

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梅沢:250ページぐらいでしたかね。もとは、阪神時代に監督が作った「ノムラの考え」という100ページほどの黒いファイルがあった。そこから監督が150ページぐらい加えて、編纂し直したものが最終版です。阪神時代のものは紙ベースしかなく、テキストデータがない。だから私がパソコンでゼロから打ち直しました。監督と二人三脚で04年春のキャンプから手直しを始めて、完成したのは05年の暮れでした。

「ノムラの考え」の序盤は、野球のことは書いていない。「一野球人である前に一社会人であれ」ということなど、人生訓が約50ページにわたって書いてあります。「人とはなんぞや?」という哲学的なテーマから入っていくわけですよ。

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