【RISE】寺山遼冴、那須川天心という「目標」を乗り越えて(前編)

ーーそこからは格闘技一筋だったのでしょうか?

寺山:いや、サッカーが楽しくなった時期がありました。小学校高学年になると、周りはみんなサッカー部に入っていたんです。でも、自分は格闘技1本…。周りが羨ましかったんでしょうね。小学校の昼休みはずっとサッカーに没頭していました。

その時は格闘技をやりたくなくて、「サッカーをやりたい」と言い続けていたら父親に怒られました(笑)。

でもそこで格闘技を続けて、今は好きです。高校生になってからは格闘技を辞めたいとは思わなくなりましたね。父に感謝しています。

ーーいつ頃、キックボクシングを始めたのですか?

寺山:小学校1〜2年生の頃ですね。自分がいた空手道場はグローブ空手という競技を行っていて、キックボクシングと似ていたんです。

それで、空手道場からキックボクシングの試合に出るようになったらハマってしまって、完全にキックボクシングに転向しました。

ーーどんなところが空手よりもキックボクシングに合っていたんでしょう?

寺山:空手のアマチュア時代はヘッドギアという装具を顔に着けるんですけど、それが本当に窮屈で苦手でした。全然周りが見えないんですよ。

でもキックボクシングは、ヘッドギアから解放された気持ちよさがありました。ヘッドギアを外してバチバチ殴り合っていたので、そこで反射神経が鍛えられたと思っています。

ーーアマチュア時代に印象に残っている試合はありますか?

寺山:小学校4年生の頃、初めてベルトを取ったときの試合ですね。ずっと勝てなかった相手に勝ってベルトを巻いた記憶があります。「お前は(ベルトを)巻けない」って言われていたので、「いや、俺でも巻けるわ!」と奮起。その時が一番嬉しかったですね。

1 2 3 4

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Share me!
  • URLをコピーしました!
目次