『断りきれずに始めたカヌーが、人生になった』。杜若高校を日本一へと導き、羽根田卓也選手らを輩出した本田泉氏
9月、日本で32年ぶりとなるアジア競技大会が愛知県で開催される。このビッグイベントで競技責任者(スポーツマネージャー)という重責を担うのが本田泉氏だ。意外にも、その歩みはカヌーとは無縁の場所から始まった。
1994年の愛知国体を控えた1987年、未経験ながら「断りきれずに」引き受けたカヌー部顧問の座。右も左もわからぬまま救助艇に乗り込んだ一人の教諭は、いかにして杜若(とじゃく)高等学校を全国制覇へと導き、リオ五輪銅メダリスト・羽根田卓也選手をはじめとする世界的なトップアスリートが育つ土壌を耕したのか。
全3回にわたるロングインタビューの第1回では、未経験の本田氏が「本物」の指導者たちと出会い、チームを日本一へと押し上げるまでの知られざる奮闘劇に迫る。(取材・執筆/大楽聡詞)
■カヌー未経験者が顧問になった理由
――本田さんは、もともとカヌーの選手ではないと伺いました。カヌーに関わるようになったキッカケは何でしたか?
本田:おっしゃる通り、学生時代はカヌーとは無縁の生活。中学時代は卓球部、決して強い選手ではありませんでした。
高校では友人に誘われてバスケットボール部に入り、大学では断りきれずに空手部へ。どれも「辞める」の一言が言えなくて、最後までやり通したという感じでしたね(笑)。
――大学卒業後は教職の道に進まれたのですね。
本田:愛知県の教員採用試験に落ちてしまったのですが、私立学校の適性テスト(私学検定)を受けていたところ、たまたま私が高校生だった頃の校長先生が副校長を務めていた名鉄学園杜若高等学校から「教員として来ないか」と電話をいただき、国語科の教員として赴任することになったんです。
第3回江戸川区羽根田卓也杯カヌー大会開催「チャレンジしたい気持ち、仲間との絆を大切にしてほしい」
――赴任当初からカヌー部の顧問だったのでしょうか?
本田:最初はバスケットボール部の顧問を希望しました。ところが1学年上の先輩で、審判としても非常に優秀な方が赴任。
「この人がいるなら、自分にバスケの出番はないな」と思っていた矢先、平成6年(1994年)の愛知国体に向けた強化拠点校として杜若高校にカヌー部を創部してほしいという依頼が舞い込んできたんです。
――国体開催に向けて、愛知県内でのカヌー競技の強化が急務だったわけですね。
本田:当時、愛知県内にカヌー部がある高校はひとつもありませんでした。そこで愛知県カヌー協会から名古屋鉄道を通じて依頼があったんです。練習場所の岡崎市カヌー練習場は、実家の帰り道。
学校からは「指導は全部愛知県カヌー協会の方がやるから、名前だけの顧問で月1回顔を出すだけでいいぞ」と言われました。
例によって「嫌だ」と言えない性格だったので、引き受けることにしたのが全ての始まり。それが昭和62年(1987年)でした。
