元プロ野球選手・喜田剛が振り返る10年間の現役生活。「辛く、悔しい」鍛錬の日々と導かれた広島での才能開花

■横浜での最終年、「楽しい1年でした」

そしてこの年10試合の出場に終わり、オフに三たびトレードで横浜(現:DeNA)ベイスターズへ移籍。11年は現役最終年になった。

迷ったままの状態でまた新たな環境へ移り、さらにこの年は1軍出場がなかったシーズン。しかし、本人から出た言葉は意外なものだった。

「ベイスターズでの野球は面白かったです。2軍監督だった白井(一幸)監督の指導が論理的で分かりやすかったんです」

キャンプでは、原点に立ち返ってこれまで20数年続けてきた打ち方に戻すべく取り組んでいた。ただ、白井監督からキャンプ初日に「最短でバットを出すと打てないよ」と言われたのだという。

「またそれか…」と一瞬前年の迷いが頭をよぎる。しかし、白井監督は丁寧にその根拠を説明した。

『最短で打つとボールの接点が1点しかないでしょ? ボールのラインに乗せてレベルスイングで振ってみな』

『カットボールやツーシームのように小さな変化が多くなる中で、ミートポイントが少なくなる打ち方でこれからの時代難しくなる』

などと、白井監督は多くの例を交えてその根拠を丁寧に伝えた。指導を受けた喜田は徐々に迷いがなくなり、考えが柔軟になっていった。

「当時32歳で野球歴も22年でしたけれども、聞いていくと『面白いな』と思いました。現役もやれてあと今年1年かなと思っていたので、白井さんの教えを本気でやってみたいと思えたんですよね。そういう1年になったのですごく楽しかったです」

現役最後の横浜時代、新たな気づきと共に臨んだ。

頭の中も整理され、腹を括ったという喜田はこのシーズンを新たな打ち方で取り組んだ。結果としては1軍に上がれることはなかったが、「ブレることなく、最後まで取り組めた1年」になった。

この年限りで戦力外通告を受け、10年間のプロ野球生活にピリオドを打った。

「現役生活は全てを出し切りました。99%”悔しい・辛い”思いなのですが、カープでは3年間1軍の舞台でプレーできて良い経験をさせてもらいました。でも、思い返すのはタイガース時代。鳴尾浜で朝から晩までバットを振ったことが真っ先に浮かんできますね。精神的にも鍛えられた10年間ですし、今の仕事にも活かされていると思います」

引退翌年にドーム社の関連会社でアンダーアーマーの店舗スタッフなどが所属する「株式会社ドームヒューマンキャンパス」に入社すると、「アンダーアーマー ベースボールハウス」で店長を務めた。そこでは売上目標を13ヶ月連続で達成するなどすぐ結果に繋げた。

今は契約している現役選手のサポートのために球場を周り、自身の経験やアドバイスを惜しみなく送っている。

今後、「喜田さんのサポートのおかげです」と言う選手がたくさん出てくるに違いない。
(おわり)

(取材協力:アンダーアーマー 取材 / 文:白石怜平 ※以降、敬称略)

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