元プロ野球選手・喜田剛が振り返る10年間の現役生活。「辛く、悔しい」鍛錬の日々と導かれた広島での才能開花

■07年途中、広島への移籍が転機に

阪神では4年間で1軍の出場試合数は8試合。そして5年目の07年、厚い壁に阻まれながらも腐ることなく猛練習と結果で示してきた喜田にようやく転機が訪れた。

それは、広島での2軍戦に出場していた時のことだった。

「広島市民球場でカープとタイガースの親子ゲームがあった時でした。午前中に僕がファームで試合に出ていたのですが、3連戦で12打数4安打、ホームランも3本打ったんですね。最後の日にファーストを守ってたら、『キダサン!キダサン!』って言ってる人がいて。

最初ファンの方だろうなと思っていたんですけども、1塁ベンチを見たらブラウン監督(当時)だったんです。『喜田さんカープに来て!』って試合中に言っていたんですよ(笑)。そこから1週間も経たないうちにトレードになりました」

5月21日にトレードとなり、翌日の交流戦初戦であるオリックス戦(京セラドーム大阪)でブラウン監督は喜田を早速スタメンに起用した。

「トレード当日に記者会見してその日は移動日だったのですが、次の日の交流戦初戦からスタメンで使ってもらいました。そこでも打てたんですよ。移籍して最初の5試合位も打ち続けたので、気持ちも落ち着いてきましたね。チームの一員になれた実感と『1軍でやっていける』っていう自信が湧いてきました」広島での初打席初安打を皮切りに、その後もスタメン出場を続けた。5月30日のロッテ戦(広島市民球場)では、当時のエース・清水直行からプロ初本塁打も放った。

広島への移籍が転機となったと語る

6月11日のオリックス戦(同球場)では初のサヨナラ打も放ち、お立ち台にも上がった。一時は打率3割を超えクリーンアップも務めるなど、この年だけで67試合に出場し指揮官の期待に応えた。

さらに翌年も66試合・09年には自己最多の78試合に出場し、1軍での出場機会を掴んでいった。

「カープではブラウン監督をはじめ、首脳陣・選手みんなが声をかけてくれました。見逃し三振をしても『はい次!、切り替えて!』であったり、空振り三振しても『あのスイングでボールに当たったらスタンド行ってるよ』といつも言ってくれたので」

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