カヌー3種目を極めた大城良介氏。「勝つカヌー」から「生涯スポーツ」へ、水上に見出す未来とは…
カヌースプリントで2度の国体優勝や世界ジュニア選手権出場を果たし、カヌーポロ、ワイルドウォーターと3つの種目で日本のトップを走り続けてきた大城良介氏(46)。中学時代の劇的な覚醒と、あと一歩で頂点を逃した大会でのほろ苦い涙、そして欧州で目撃した「生涯スポーツ」としてのカヌーの姿とは――。前編では、大城氏の輝かしい競技人生の歩みを振り返りながら、自立心と協調性を育むカヌーならではの「人間教育」の真髄に迫ります。(取材・文/大楽聡詞)
◼️三好の地と、日本一への「洗脳」
――子供の頃は、どんなお子さんだったんですか?
大城:外で遊ぶのが大好きな子でしたね。私は愛知県の三好町(現・みよし市)生まれ。40年以上、人生のほとんどをこの三好で過ごしています。
――みよし市といえばカヌーが有名ですが、当時から身近なスポーツだったのでしょうか。
大城:いえ、当時はまだこれからのスポーツでした。私が中学3年生の時に愛知国体(わかしゃち国体)が開催されたのですが、小学校の高学年頃に、ようやく三好池でカヌーコースの着工が始まったくらいです。
ですから、私が中学校でカヌー部に入った時は、まだコース開きをする前。本当に細々と活動が始まっていた頃ですね。
――そんな黎明期に、なぜカヌー競技を選ばれたのですか?
大城:小学校の恩師である山北先生に誘われたのがきっかけです。先生は、私が小学校高学年の時に一足早く中学校へ異動されて、国体に向けたカヌー部をゼロから立ち上げる役割を担っていました。
その先生から、会うたびに「体が大きいから、カヌーをやれば日本一になれるぞ」と言われ続けて。
――山北先生ご自身は、カヌーの経験があったのですか?
大城:いえ、全くありません(笑)。ボート部の経験はあったようですが、カヌーは未経験。
でも、当時の私の担任だった伊串先生とも仲が良くて、お二人で「お前はカヌーで日本一になるんだ」と言い続けるわけです。今思えば、良い意味で完全に「洗脳」されましたね。
――その「日本一」という言葉に、少年時代の大城さんは惹かれたわけですね。
大城:当時、家が裕福ではなかったこともあって、「日本一」という輝かしい響きに夢を描いたんだと思います。
それに、父は障害者水泳の全国大会でメダルを取るような人で、泳いでも私より断然速かった。そんな父の背中を見て育ったので、「何かで頂点を目指すことへの憧れ」が、うっすらと根底に植え付けられていたのかもしれません。
>>> 覚醒、そして挫折の涙
