【シダックス 梅沢直充】「チームと一緒になって戦っている」という感覚がやり甲斐になっていた(第一回)

――高校では硬式野球部の方が花形ですよね。それでも3人しか硬式に行かなかった?

梅沢:たしかに注目度は全然違う。ただ攻玉社は進学校のため大学入試が一番大切。だから軟式野球部に入った生徒は野球よりも予備校など受験対策に重きを置いていました。でも私は大学でも野球を続けたかったので、硬式野球部を選択しました。硬式野球部は日没まで練習があり、土日も練習や試合で潰れる。だから自宅で勉強はほとんど出来なかったけれど、親が「最低限、英語だけはやっておきなさい」と週に一回、家庭教師を付けてくれました。週に1日だけ「研修日」といって休みの日があり、その日の夜に家庭教師。本腰入れて受験勉強を始めたのは、結局夏の大会が終わってからになってしまって。

――梅沢さんの「最後の夏」は?

梅沢:93年、第75回大会の東東京大会です。一回戦は勝利しましたが、二回戦でシードの帝京高校に当たってしまって、神宮球場で18-0コールド負けでした(苦笑)。

――それから大学入試まで半年ぐらいしかないですよね!?

梅沢:7月中旬、負けた次の日から気持ちを切り替えて受験勉強をスタート。どうしても大学野球がやりたくて、有名野球部のある大学ばかり受験しました。時間が無くて対策が思うようにいかず、第一志望の立教大は夢叶わなかったですが、日本大、近畿大、亜細亜大の3校はなんとか受かりました(苦笑)。浪人はしたくなかったので、その3校の中でどこに行こうか考えて。近大は関西だし、亜大はバリバリだし(笑)。それで日大を選びました。

――日大に入学してからは野球三昧ですか?

梅沢:プレイヤーとしては「3日間だけ」その後マネジャーに転向しました。

――え!? どういうことでしょうか

梅沢:日大野球部には日本全国から集まってきた精鋭たちがいます。選手寮生は甲子園組など推薦入学のエリート。そして選手寮以外に住んでいる部員を「通い」と言っていました。私はもちろん通いの選手として入部したんですが、3月中旬、下高井戸にある日大のグラウンドで練習に参加したら、同期や先輩たちとのレベルの違いに愕然としました。

私の同期にはのちに千葉ロッテのエースとして活躍する報徳学園の清水直行、夏の甲子園で優勝した兵庫育英の四番打者、西内宏をはじめ、日大山形、日大藤沢、市立船橋、関東一高など、とにかく錚々たるメンバーばかり。「彼らには絶対に勝てない」と瞬間的に悟りましたね(笑)。

これから4年間ユニフォームを着ても球拾いで終わるか、もしくは幽霊部員になるだろうと。でも私が入部する際に橋渡しをしてくれた恩人がいて、「こんなことでは顔向けができない」と悩みました。

日大に入学したことで、せっかく全国トップレベルの選手たちと知り合うことができた。だったら「球拾いではなく別の形で、彼らのために力になれることはないか…」と考え、3日目の練習に向かう電車の中で、マネジャーになることを決意しました。

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