
9.23大阪でKO-Dタッグ王者・納谷幸男&飯野雄貴(The Apex)にTo-yと挑戦する高鹿佑也。真面目な性格ゆえに、どこか殻に閉じこもっていた。昨年末、所属していたユニット「BURNING(バーニング)」が解散、遠藤哲哉との別離やD GENERATIONS世代のTo-yとのDDT EXTREME戦を通じて、彼はプロレスラーとして新たな道を歩み始めた。内なる好奇心を解き放ち始めた高鹿が心境の変化と今後の展望を熱く語った。(取材・文/大楽聡詞)
「ちゃんとしてなきゃ」という呪縛からの解放
――2025年に入り、高鹿選手のプロレスが大きく変わったように感じます。2月のD GENERATIONS CUP優勝、4月KO-D無差別級王座初挑戦、6月KO-Dタッグ王座挑戦。ご自身の中で何か大きな変化はありましたか?
高鹿佑也(以下、高鹿):変化というより、昨年12月までは「ちゃんとしなきゃ」という気持ちがどこかにあったのだと思います。秋山準さんからプロレスを教わり、デビューしてから遠藤(哲哉)さんのそばでBURNINGの一員として、ずっと真面目であるべきだと思っていました。
「DDTの自由なノリに深くノリすぎるといけない」、どこかBURNINGの“好青年”としていなければならないと。正直なところ、内心では「色々なことをやってみたい」という好奇心はあったのですが、先輩の目やお客さんからの見られ方を気にして、自分を制御していた部分がありましたね。
――その「真面目でいなきゃ」という思いから解放されたきっかけは何だったのでしょう?
高鹿:一番のきっかけは、やはりBURNINGの解散です。それまで抑え込んでいた感情が、「もういいや、やってみよう」と変化しました。
それこそ、試合中にふざけて「シャキーン」とポーズをとってみたり、To-yさんと一緒に「T・O・Y」ポーズをやってみたりと、以前ならやらなかったことも、今では色々試しています。
――つまり、プロレスを「自分がやりたいようにやる」勇気が湧いてきたということでしょうか?
高鹿:そうですね。誰かの目を気にするのではなく、僕がやりたい、僕が主導の考えで動けるようになった。まずは「やってみる」ことから始めようと。
もしそれが違ったとしても、それはそれでいい経験になりますし、新しい発見のためには、まずトライしないといけない。自分主導で何でも挑戦できるようになったことが、一番大きな変化です。