江川氏は当時から右肩痛に悩まされており、出場することにも内心難色を示していたが、この日は痛みがなかったという。球を受けた中尾氏は 「高校時代に近いくらいのすごい球だった」と語るほど絶好調だった。
2番手としてマウンドに上がった江川氏は、三振の山を築き全パの強打者にバットへ当てることすらも許さなかった。
「落合さんは取れないと思った」と語ったが、見事三振を奪い6者連続奪三振をマークすると、満員の歓声の中ベンチに戻った。
ただ、当初の予定は2イニングだった。自身も肩のコンディションもあって続投は望んでいなかったが、全セの王貞治監督(巨人)に促され次の回も渋々マウンドに上がることに。
かねてから公言していたのは、江夏氏を超える10連続奪三振を狙っていたこと。9人目を振り逃げで出塁させ、記録上三振とした上で次打者も三振に斬って取ることを想像していた。
この発想が生まれたのは一週間ほど前だったという。
「(漫画家の)水島新司先生と食事をして話している中で、『(3ストライク目を)後逸させたらできますよね』ってなったんですよ」
その狙えるシーンがついにやってきた。8者連続奪三振となり、打者は9人目となる大石大二郎(近鉄)を迎えた。
「うまく当ててくるタイプの感じがしたから」という嫌な予感は的中。結果はご存じの方も多いであろう、3球目のカーブが前に飛び10者連続はおろか9者連続も目の前で消えてしまった。
中尾氏とは続投が決まった段階でベンチで構想を伝えていた江川氏。中尾氏も「キャッチャーフライも捕る気はなかった」と“全面協力”の心づもりだったという。
しかし、実際のそのシチュエーションになると思わぬことに。
「(大記録を達成した時の)新聞の見出しが頭の中に出てきた。それであれ?と思って迷った感じで高めに行った」と、マウンド上で自身に起きたまさかの出来事を明かした。
ただ改めて回想し、「最初は称賛されるけども。一週間くらい経つと批判に変わる。だから取らなくてよかった」と自虐ネタも披露していた江川氏。
試合数も2試合で最長でも2イニングまでの継投が主流のため、江川氏そして江夏氏が打ち立てたものは“不滅の大記録”なのかもしれない。
記事/まるスポ編集部