大鷲透、25年間のプロレス人生を振り返り、ちゃんこ兼業の未来へ。「“出汁がなくなるまで” 闘い続けます!」

ーー今ではDDTバラエティ班として欠かせない存在になりました。

大鷲真っ当なプロレス人生を送るはずだったんですけど…。最初に狂わされたのは男色ディーノだったな。男性にチューされることって、今までなかったんですよ。だからすごい衝撃を受けた。

毎回ディーノにチューされるたびに泣きながら洗面所で口を洗い流すのが日課でした。でも、人間ってやっぱり慣れる生き物で。毎回チューされると慣れてくるんですね(笑)。

ーー今は自分から求めに行っていますね

大鷲逆にチューしてもらえない存在になってしまったんですよ!当時は影響を受けてゲイレスラーに転向もしました。そこがバラエティに足を突っ込むきっかけになりましたね。

HARASHIMAさんが加わってディザスターボックスを結成したこと。そして男色ディーノがきっかけでバラエティに足を突っ込めるようになったこと。この2つがあって、長きに渡りDDTにいることになったんでしょうね。


参戦して20年間、上野勇希や吉村直巳など、自分が育成する選手も増えた。その中でも一番濃い時間を過ごしたのは、やっぱり平田一喜なんですかね。

ーーもう1人、大鷲選手を語るのに欠かせないのは高梨将弘選手です。

大鷲現在首を負傷して療養中の高梨将弘は、弟のように可愛がっている存在です。彼は、闘龍門がメキシコで展開していたプロレススクール「闘龍門2000プロジェクト(T2P)」を、総合格闘技か何かと間違えて入学しちゃったんですよ。


【DDTプロレス 高梨将弘】闘龍門という団体で自分は埋もれてしまう…(第1回)


それで、ルチャリブレ・クラシカルのスタイルを練習していくうちに “なんか違うな” って思ったらしいんです。海渡る前に気づけよ!って(笑)。


そうであれば、「1回日本に帰って、1年経ってもまだプロレスをやりたいっていう気持ちがあるんだったら、俺が団体を紹介してやる」って言ったんです。あのときは「この団体を辞めたからこっちの団体に入る」っていう時代じゃなかったので。


そうしたら、総合格闘技と間違えてメキシコに行っちゃうような奴だったのに、1年間鍛えてプロレスをやりたい気持ちが続いていた。それで自分の闘龍門の同期である大家健を紹介したんですよ。


その大家がうまくDDTに繋いでくれた。そして高梨はDDTでタイトルを獲得したり、自分のポジションを確立した。素晴らしいことだと思います。


ーー「繋げる精神」は、欠場選手への支援「やまいきフリマ」にも通じているのでは?


大鷲そうやって好感度を上げてこの業界で生きていこうと思っているので、私がちょっとでも手助けをした人たちは、どんどん声を大にして言ってもらえたらと思いますね(笑)。

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