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HARASHIMA・男色ディーノがいたから今の自分がある

ーーDDTに参戦し始めた20年前、大鷲選手は “DDTを乗っ取る” 外敵でした。
大鷲:2004年の大晦日、ドラゴンゲートを職務怠慢・素行不良で解雇されたんです。その後、まず4月に大阪プロレスに参戦しました。「大阪プロレスを “大鷲プロレス” に変えてやる!」と。ゴロがいいと思ったんですよね。
そして5月、「DDTという “エンターテイメント・クソ団体” を大鷲プロレスに変えてやる!」と乗り込んだことが参戦のきっかけです。
同じユニット「悪冠一色(アーガンイーソー)」の高木 “ジェット” 省吾を先に潜り込ませ、油断させてから私が乗り込んでいくという作戦が大当たりしていたので、その勢いでDDTを制圧しようと思った。
その時、HARASHIMAさんは自分の殻を破りたいと思っていたのか、DDTを裏切って自分と合流してくれたんです。当時、HARASHIMAさんは「HERO!」というリングネームで、ベビーフェイスだった。
【DDTプロレス HARASHIMA】D王GP覇者・田中将斗と一騎打ちへ
今まで育ってきた団体を裏切って外敵と合流するって、相当な勇気じゃないですか。その気持ちを汲むためにも、「ディザスターボックス」を結成して、DDTを制圧する一大勢力を作ろうという決心になりました。
もし、あの時ディザスターボックスができなかったら、自分は今DDTにいないかもしれない。自分の存在理由がそこでできましたね。