初優勝はプロ3年目の1988年6月のダンロップレディースオープン
――技術的に学べるものも少なかった?
中嶋:はい。先生も呆れていらしたようで、ひたすら追い込むようなトレーニングメニューが鬼のようにあって、陸上部とトレーニングの合体のような感じでした。それでも足りなくて自主トレもしてました。そのおかげでゴルフは一切上達しませんでしたが3年間で体力と筋力がめちゃくちゃついたんです。これが、後々すごく役に立ちました。
――高校卒業後の進路は?
中嶋:最初は静岡のゴルフ場に研修生として就職、1年で70台までは出せるようになったものの、ゴルフを知らなすぎで行き詰っていました。
プロテストを受けた時、他のゴルフ場から来ていた4人の研修生が、1人の先生から指導を受けていました。その練習の様子を見た瞬間、「あのゴルフ場に行けば、すぐにプロになれる」と直感。プロテストの結果、その4人中3人が合格するという驚くべき光景を目にしたんです。
――直感で、「ここに行けばプロになれる」と?
中嶋:そうです。プロテスト会場でその選手に声をかけて、先生に面接をして頂くことになりました。それが寺下郁夫プロ。1984年、葛城ゴルフ倶楽部に移籍し、寺下プロにみっちり指導頂いた結果、翌1985年にプロテストに合格することができました。
――プロになってからは、すぐに大会で結果が出たのですか?
中嶋:すぐに結果が出たわけではありませんが、プロテスト合格同期の仲間は出場権を得る選手が多く、「新人類」と呼ばれるほど勢いがありました。ですから、試合に行くのが楽しかったですね。
――初優勝はプロ3年目の1988年6月のダンロップレディースオープンですね。
中嶋:そうです。実は、私、初優勝はプレーオフで優勝したかったんです。
