初優勝はプロ3年目の1988年6月のダンロップレディースオープン
――高校は、PL学園に進学されたんですよね。
中嶋:中3の時、父が「千尋、決めてた高校の監督がPLに行くらしいぞ!PL行くか?」とインターネットのない時代にどこからか情報を聞きつけて、PL学園に入学することになりました。願書もギリギリ。先生からは「授業態度が悪いから合格は難しい、滑り止めしなさい」とずっと言われていました。
――それでも、「高校に合格しなかったら、ゴルフ場で働きます」と言って、滑り止めは受けなかったそうですね。
中嶋:「私、プロになるから忙しいんです。行きたくない高校に行ってる場合じゃないんです」と言ったら、毎日心配して滑り止めを勧めてくださっていた先生は何も言わなくなりました(笑)。結果的に合格できて良かったです。
――ゴルフ部の生活はどうでしたか?
中嶋:PL学園のゴルフ部は、男子は世界ジュニアに出場する選手もいて強かったのですが練習は別。女子部はできたばかり。キャプテンが「ドライバー」を「ドライヤー」と言っているほど私含めてド素人ゴルフ部でした(苦笑)。私は「PLで一から教わろう!行けば色々覚えられる」と思って進学したので、「あれっ?大丈夫かなぁ??」と思いました。
