【レック株式会社・永守貴樹】プロレスファンの裾野をもっと広げたい(後編)

目次

帰国後、転職。そしてホームセンタープロレス開始

――その後、永守さんは帰国し、2012年に転職されたのですか?

永守:そうですね、転職しました。海外で学んだものを現場で生かそうと考えていたのですが、会社に出向を命じられて仕事に対する情熱を失いました。

――それでレックさんに入社し、業績を回復されたと伺いました。

永守:実は自分が社長になった瞬間、初めて赤字になりました。円安などの要因もあったとおもいますが、私の責任です。そこから業績を回復するために、さまざまな改革に取り組みました。

「石の上にも3年」とは良く言ったもので、やっぱり完全に回復するのに3年かかったんですよ。そして会社の将来を見据えて、「今度は自分の色を出していかなきゃ」と考えた時に、「果たして自分の色ってなんだろう」と。そこで「プロレス」の文字が頭に浮かびました。

弊社の大切なクライアントにダイソーさんがいます。当時ダイソーの副会長にDDTプロレスの高木三四郎さんを紹介いただきました。

高木さんと知り合い、2016年9月に埼玉のホームセンターセキチュー熊谷小島店でホームセンター路上プロレスをDDTとはじめて開催しました。

そのホームセンター路上プロレスに大巨人・石川修司選手が興味を持ってくれたんです。それで修司さんと色々話すうちに、「駐車場でリングを立ててプロレスをやろう」と。

それで2018年2月に埼玉のホームセンターセキチュー上尾店で全日本プロレスさんに協力いただき、駐車場にリングを立ててプロレスする「ホームセンタープロレス」を、はじめて開催。2月で寒い時期なのに驚くほどの人が集まってくれたんです。

来場者が約800人。全日本のリングアナウンサーの木原文人さんが「こんなにお客さんが集まるなら今後もやりましょう」と。それから定期的に開催するようになりました。

現在、コロナが落ち着き、ありがたいことに各取引先やホームセンターから評判が良いので、「うちでもやってもらえないか?」と依頼が増えています。ただ平日は働いて、土日にプロレスを開催するので休みがないです(苦笑)。

1 2 3

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Share me!
  • URLをコピーしました!
目次