――ガルーダさんといえば、メキシコ遠征から凱旋して、ハヤブサさんに変わる救世主になって、2001年11月23日・横浜文化体育館大会のメインイベントで黒田哲広さんとのコンビで、天龍源一郎さんと冬木弘道さんと対戦されるじゃないですか。デビュー1年で重責を担う立場にいきなりさせられるわけじゃないですか。マンモス選手からして、ガルーダさんは辛そうでしたか?

マンモス:めちゃくちゃしんどかったと思います。あの試合がなかったら、グラウンドも強くて、バネもあって、身長がそこそこあったので凄いレスラーになっていたはずなんですよ。あれで負のオーラを背負っちゃって、プロレスに一歩引いてしまったのかなと…。

――ハヤブサさんの後継者という立場でFMW崩壊後にWMF旗揚げに参加したガルーダさんですが、その後も重責もあって苦労されていたように思います。

マンモス:メキシコから無理やり連れ戻されてマスクマンになって、天龍さんと冬木さんと闘って、あれで彼が精神的に潰れちゃったんですよ…。本当に可哀そうだなと思いましたね。

――あの試合はガルーダさんのパートナーの黒田さんが大奮闘された記憶があります。

マンモス:黒田さんは本当に背伸びして頑張ってましたね。

――確か、あの試合で天龍さんからビール瓶攻撃を食らったんですよね、黒田さんは。恐らく天龍さんは黒田さんを認めたんでしょうね。

マンモス:天龍さんは認めている相手じゃないとビール瓶でぶん殴らないんです。

――そうですね。柴田勝頼さんも2004年にビール瓶で殴られたことがあって、若い柴田さんを天龍は絶賛していましたよ。

マンモス:天龍さんがレスラーを認める基準が「ビール瓶で殴る」というのが凄いですよね(笑)。

――WMF時代にガルーダさんのライバルだったソルジャーさんというレスラーがいました。2000年にFMWで本名の牧田理としてデビューしています。2008年に引退されますが、彼についてはいかがですか?

マンモス:あいつは出来が良すぎたんんですよ。出来過ぎる後輩でしたね。

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