【パラカヌー 小松沙季】私がカヌー選手として活動することで車椅子や障害を持つ人が挑戦できる環境が整うのではないか(前編)

――地元の方の応援もすごかったですよね。

小松:本当に町ぐるみで応援して頂き、東京パラが終わり帰ってきてからも沢山声をかけていただいて「すごく温かいな〜」と感じています。

――体力測定から東京2020パラリンピック出場まであっという間でしたね。バレーボールをしていた経験が大きいのかと思うのですが‥

小松:元々体力はあったかもしれませんが、実際1年間入院していたので体力は相当落ちていました。それに今までバレーをやっていたとしても「下半身が利かない」ことに関しては初めての経験なので、自分の身体を一から知ることから始まりました。

【パラカヌー・瀬立モニカ】東京パラに向けて「メダルを取るため」の種をまく。リオの経験を活かした施策

バレーでの経験が役に立ったとすれば、スポーツ競技に対する取り組み方ですね。当たり前のことですが「毎日課題を見つけ、しっかりやる」とか意識的な部分は活きたと思います。

――カヌー競技を始めてからパラリンピックまでの期間をどのくらいでしたか?

小松:初めて水上でカヌーに乗ったのが今年3月7日なので半年くらいですね。

――半年はスゴイですね。金メダリストのエマ選手と10秒離れていませんでしたよ。

小松:でも0.01秒を争う競技なので、世界で10秒といえばスゴイ差があります。競技を始めたばかりですし、まだまだ自分で潰せる課題はたくさんあるので、その課題をクリアすればタイムが伸ばせる部分はあると思っています。

――予選の走りと準決勝の走りを比べた時、準決勝で小松選手の身体から固さが取れたように見えました。「この走りが予選だったら…」と思ってしまいました。

小松:そうですね。私が出場した準決勝1組は上位3名が1分3秒台でした(小松選手は4位)。準決勝2組は3位の選手が1分7秒台。もし2組の方に振り分けられていたら決勝レースに出場できる可能性が高かったかもしれません。ただ神様から「まだそのステージに行くのは早いよ」と言われている感じはありましたね(苦笑)。

<後編に続く>

小松沙季/コマツ サキ 高知県四万十市出身

小学2年からバレーボールを始める。
高校は2010春高バレーでベスト16の高知中央高等学校、2012年は全国さくらバレー選手権でベスト8キャプテン。
大阪学院大学卒業後、ブレス浜松入団。
2019年6月 体調を崩し入院、両足と左手に麻痺が残る。
2020年12月 パラスポーツの測定会に参加。
2021年3月 本格的なトレーニングを開始。パラカヌー海外派遣選手選考会にて2位入賞。
2021年5月 パラカヌーワールドカップ出場。女子ヴァーシングル(VL2)決勝にて5位。東京パラリンピックカヌー内定選手となる。

小松沙季オフィシャルWebサイト
小松沙季YouTube「TEAM SAKI」
小松沙季 Twitter
小松沙季 インスタグラム

取材・文/大楽 聡詞

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