
新日本で味わった屈辱と反骨心。タイチがヘビー級転向を決意した内藤の一言とは…
――メキシコ遠征はトータルでどのくらいの期間でしたか?
タイチ:全部で1年くらい。途中で一度日本に戻ったんだ。その直前の2010年6月、アレナ・メヒコでマキシモ選手と“カベジェラ・コントラ・カベジェラ”(敗者髪切りマッチ)をやって、負けて坊主に。
試合には負けたけど、新日本プロレスの看板を背負ってメインを張れた。だから胸を張って帰れると思った。
――凱旋した時は、チャンスが待っていたんじゃないですか?
タイチ:俺もそう思っていた。でも現実は全然違った。凱旋試合1発目はディファ有明の普通の会場で、しかも組まれたのが第1試合。相手はヤングライオンの三上恭佑。
「俺、CMLLで名前を残してきたじゃないか。有名になったじゃないか…」って、本当に悔しかった。自分なりに実績を残してきたつもりだったのに、会社は何もしてくれない。腹が立って「なんだ、この会社!」って。
――その悔しさが、再びメキシコへ向かうきっかけに?
タイチ:そうだ。「日本にいる意味ないな」と思って、すぐメキシコに戻ったよ。向こうでは相変わらず人気があって、戻ってきたことも大ニュースとして扱ってくれたしな。