
新日本で味わった屈辱と反骨心。タイチがヘビー級転向を決意した内藤の一言とは…
――チャンスが一気に転がり込んできんですね。
タイチ:その後のシリーズでも何回か呼んでもらったけど、ある日、試合が終わった直後に当時の現場監督だった長州力さんから「お前、ちょっと来い! コラ!」って呼ばれたんだ。何が起きたのか分からないけど「ハイ、すいません!」って謝りながら走って行って、心の中で「俺、終わったな…」と。
そしたら長州さんは「お前、すごくいいですよ。これからも、うち出てください。うちの若い奴らともっとやってくださいよ」と言ってくれて(苦笑)。さらに獣神サンダー・ライガーさんからも「BEST OF THE SUPER Jr.、出てくれる?」と声をかけてもらって、話がトントン拍子に進んだんだ。
――2008年頃には、ミラノコレクションA.T.選手とタッグチーム「ユニオーネ」を結成。「G1 TAG LEAGUE」にも出場されましたね。
タイチ:大会ではヘビー級の選手とも戦って、改めて高い壁を感じた。当時は体重が90キロもなかったし。かろうじてリーグ戦で1勝したけど、それも相手の反則による反則勝ち。実質的には0勝。
――その頃、ヘビー級転向は考えていたんですか?
タイチ:一切考えられなかった。まったく歯がたたないと思ったからな。改めて、新日本プロレスの層の厚さとレベルの高さを痛感したよ。
――ちょうどその時期、リングネームを現在の「タイチ」に変更されました。心境の変化があったんですか?
タイチ:ミラノとタッグチームで戦っていて結果が出なかったのもあるし、当時ジュニアタッグ戦線が盛り上がっていた。そこで自分の名前をパッと見たときに「田舎くさいな」と。「ミラノコレクションA.T & 石狩太一」って並びがどうもバランス悪く感じたんだ。
そんな時、ミラノから「“石狩”はいらないんじゃない?“タイチ”でいいじゃん」って言われて。心機一転、それもいいなと思って変更した。
「石狩太一」は橋本真也さんに付けてもらったリングネームで、当時は「こんな偉大な選手につけてもらったんだから、一生大事にしよう」と心に誓ったんだけど…あっさり変えちゃったな。