
新日本で味わった屈辱と反骨心。タイチがヘビー級転向を決意した内藤の一言とは…
プロレスラーとして再び歩み始めたタイチは、新日本プロレスで運命的な出会いとチャンスを掴んだ。しかし、海外遠征からの帰国直後には、団体への激しい怒りと反骨心を燃やす出来事も。メキシコでの成功を経て味わった「屈辱」。なぜ、彼は当時の新日本マットに“牙を剥く”道を選んだのか。そして、ヘビー級転向を決意させた内藤哲也の一言とは?激動の「鈴木軍」時代を振り返りながら、その胸中に迫ります。(取材/大楽聡詞 文/ミライカ 文中敬称略)
新日本プロレスへの合流と「オンリーワン」の覚醒
――フリー転向後はいろんな団体で試合をされ、新日本プロレスにも参戦しました。どうして川田さんとは別々の道を歩むことになったんですか?
タイチ:ある団体への参戦に専念しているうちに、川田さんと自分のプロレススタイルが少しずつ違ってきたんだ。いろいろ悩んでいた時期に、新日本プロレスから声がかかった。「出たいです」と伝えたら「今の生活を全部リセットしないと難しいかもな」と言われたんだ。
それで自分なりに考えて、川田さんに「すいません、自分のやりたいことが見つかったので付き人を辞めさせてください」と。
――不安はありましたか?
タイチ:もちろんあったよ。でも、そのまま続けている方がもっと不安だった。多分、今ここにいても自分の将来はないと感じたんだ。
当時、新日本プロレスが主催していた「レッスルランド」という興行に出場した。そこで当時のユークス(株式会社ユークス)の社長の目に留まって、「あの子、面白いね。本戦でも使おうよ」と言ってもらえた。ちょうど札幌大会があり、そこで初めて本戦出場。振り返ると、“運”はけっこうある方だと思うね。