
新日本で味わった屈辱と反骨心。タイチがヘビー級転向を決意した内藤の一言とは…
メキシコでのブレイクと凱旋試合の屈辱
―― 2010年、メキシコへ遠征されます。タイチ選手は半年ほどでメインイベントに抜擢されましたね。
タイチ:先にメキシコに遠征していた内藤哲也と高橋裕二郎(NO LIMIT)が、「日本人って面白い」と思わせるレールを敷いてくれた。それまでは日本人が上に行くことなんてなかったけど、内藤らはタッグでメインイベントを張れるほどの人気を得たんだ。
そこへ「もう一人、新日本プロレスから来るらしいぞ」と噂が立って、俺にも注目が集まるようになった。
――運の強さを感じますね。
タイチ:メキシコデビュー戦が、いきなりアレナ・メヒコの金曜大会(CMLLの主催大会)。しかも普通なら新人は第1試合、第2試合あたりに出されるけど、俺はいきなりセミファイナル。異例中の異例だった。
――メキシコは“プロレスの聖地”というイメージがあります。街でも気づかれたりしましたか?
タイチ:すぐだよ、すぐ!めちゃくちゃ早かった。アレナ・メヒコに一度出ただけで、もう街中で指をさされるようになった。
ただ、向こうからすると日本人はみんな同じ顔に見えるらしくて「ナイトー!ナイトー!」って呼ばれることが多かった(笑)。それくらい内藤の人気がすごかったってことだよ。