【インタビュー】新日本 永田裕志が語る”青義”のルーツと棚橋弘至との激闘(前編)

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9.7東金アリーナ、永田はメインイベントで棚橋弘至と18回目のシングルマッチ!

引退する棚橋弘至と最後のシングルマッチ

――今回は来年1.4東京ドームで引退する棚橋弘至選手とのシングルマッチ、過去17回対戦しています。永田選手から見て棚橋選手はどんなレスラーですか。

永田:棚橋選手は…今は棚橋社長ですね(苦笑)。古くからの新日本ファンの価値観を変えた選手だと思います。


社長兼レスラーとしての激動の日々――ファイナルロードと新日本プロレスの未来

――それはどういった意味での価値観ですか。

永田:新日本プロレス創設から受け継がれるストロングスタイルに、見事に背を向けましたね。当時はアクの強いファンがたくさんいました。

僕のYouTube『永田裕志のゼァ!チャンネル』では”猪木教信者”と言っていますが、彼はそうしたファンの思想をガラッと変えてしまったんです。

初めの頃、棚橋が2005年のNEW JAPAN CUPで優勝しても、2006年7月に初めてIWGPチャンピオンになった時も試合後のリング上でブーイングを受けることがありました。

当時のファンにとって棚橋弘至は、チャンピオンとしてふさわしいかどうか不安や不満があったのだと思います。


――永田選手が2007NEW JAPAN CUPに優勝し、同年413日大阪大会でのIWGPヘビー級戦で棚橋選手と対戦して王者に返り咲いたときも「永田コール」の方が大きかった印象があります。

永田:あの時は、多くの選手が退団して新体制に移行する中、棚橋選手や中邑真輔選手が次世代の柱として期待されていました。前年に棚橋選手がIWGPチャンピオンになり、無難に防衛していく姿にファンの中で違和感を覚えた人もいたのでしょう。

そんな中、自然と「今こそ永田裕志」という声が少しずつ出て、ファンの後押しで僕がNEW JAPAN CUPで優勝。そしてIWGPベルトに挑戦しました。


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