
長年にわたり新日本プロレスのリングで活躍し、“ブルージャスティス”“ミスターIWGP”としてファンに愛され続ける永田裕志。9月7日、地元・千葉県東金市で自主興行「Blue Justice XVI ~青義奉謝~」を開催します。この大会を前に、多忙なスケジュールの合間を縫って自身のプロレス人生を語ってくれました。前編では、自主興行を始めたきっかけや、9月7日の東金大会で対戦する棚橋弘至とのこれまでの激闘を振り返ります。(取材・編集/大楽聡詞 文/ミライカ)
自主興行「Blue Justice」の始まり
――今年も地元・千葉県東金市で「永田裕志 Produce Blue Justice」が開催されます。通算16回目となる自主興行ですが、そもそもどのような経緯で始められたのでしょうか。
永田:2006年に僕自身が会社を立ち上げてリラクゼーションサロンを始めたんです。当時、新日本プロレスは厳しい時期で、千葉県での興行を担当していたプロモーターさんがいなくなってしまった。2005年に新日本の地方興行として開催された東金大会が最後になりました。
そんな中、当時の新日本の営業の方から「地元の東金で自主興行やってみない?」と声をかけられたんです。
僕自身、一度自主興行をやってみたいという気持ちがありましたし、先輩の蝶野正洋さんが幕張で自主興行を成功させている姿を見て、先人の背中を追いたいという思いもありました。
――自主興行となると、準備も大変そうですね。
永田:極端に言えば、会場の予約なども含めて準備は1年以上前から始まります。予約が取れたら会社とのスケジュール調整を行い、さらに大会の方向性を頭で整理します。実際に本格的な準備が動き出すのはだいたい半年前くらいですね。
――対戦カードもすべて永田選手が決めているのでしょうか。
永田:基本的には要望は出します。自分のカードや、同世代の仲間を組んでほしいとか。