【インタビュー】新日本 永田裕志が語る”青義”のルーツと棚橋弘至との激闘(前編)

第31代IWGPヘビー級王者(2002年 – 2003年)として当時最多防衛記録所持者・橋本真也の9回を上回る10回の防衛に成功した

――棚橋選手とは2007年、両国国技館でのG1決勝でも戦っています。優勝は棚橋選手でしたが、そこでも会場からブーイングがありましたね。

永田:会場が満員札止めにならない中で戦ったのを覚えています。その年の10月両国のIWGP防衛戦で、今度は棚橋選手が僕に勝って新王者になったのですが、ここでもブーイングがありました。

ただ、その直後の11月両国国技館大会で行われたIWGP防衛戦(棚橋選手vs後藤洋央紀)で彼は、圧倒的な新世代のプロレスを見せたんです。あの頃から少しずつ雰囲気が変わっていったなと思います。とにかくすごい試合でした。

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――10月両国大会、武者修行に出ていた後藤選手がメキシコから凱旋帰国、そして11月にIWGPヘビー級王座に挑戦した一戦ですね。

永田:後藤選手の「新世代はお前らだけじゃないぜ」という戦いぶりに対して、棚橋選手が受け切って勝利したんです。最後は棚橋選手はコメントも出せないほどダメージが残り、控室に戻りましたね。懐かしいですね。


――永田選手と幾度と戦うことで、棚橋選手も成長していったのではないでしょうか。

永田:僕自身も、のし上がってくる下の世代と戦うことで、かつて僕たちが先輩たちに噛みついていた頃とは違う、腹の底から湧き上がるものを感じました。彼らと戦うことで、また違った自分の新たな側面を出せた気がしましたね。

――201112月、愛知県体育館で行われた棚橋選手の10回目のIWGP防衛戦では、過去にIWGP連続防衛10回の記録を持つ永田選手と対戦しました。

永田:本当に僕を越すなら、11回目でやればよかったんです。10回防衛した棚橋選手と、10回防衛の記録を持つ永田というシチュエーションなら最高でしたけど、なかなかそうもいかないですね(笑)。


――2007年に戦ったときとは、また違った戦いでしたか。

永田:違いましたね。2010年代に入って、自分の価値観をしっかり作った上での戦いでした。僕は自分の築いた価値観、古いと言われればそれまでですがストロングスタイルを絶やしてはいけないという思いでぶつかりました。棚橋選手からすれば「そんなものは古い価値観だ」という思いがありましたから。
<中編に続く>

<インフォメーション> 
9月7日(日)千葉・東金アリーナで「永田裕志 Produce Blue Justice XVI ~青義奉謝~」が開催されます。メインイベントは「棚橋弘至ファイナルロード~縁(えにし)」と題し永田裕志vs棚橋弘至が激突。詳細は新日本プロレス公式サイトをご覧ください。

写真提供/新日本プロレス

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