リオ・東京・パリと3度の五輪を経験した矢澤亜季
激流の中、一瞬の判断でカヌーを操り、吊るされたゲートをミリ単位の精度で通過する。日本カヌースラローム界のトップランナー矢澤亜季(システックス所属)。リオ、東京、パリと3度の五輪を経験した彼女のルーツは、意外にもカヌーとは対極にあるような「日本舞踊」の世界にあった。なぜ彼女はカヌーに惹かれ、いかにして日本を代表する選手へと成長したのか。信州の豊かな自然の中で育まれた、知られざる幼少期のエピソードから紐解く。(取材・文/大楽聡詞)
◼️「遊び」が「日常」に変わった天竜川での日々
――小さい頃はどのようなお子さんだったのでしょうか。
矢澤:3歳から日本舞踊を習っていました。元々祖母が踊りをやっていた影響で始めたのですが、周りの子供たちがピアノやダンス、水泳をしている中で、ちょっと珍しいですよね。一人で黙々と何かを追求することが好きな子供でした。
――カヌーを始めたキッカケを教えてください。
矢澤:兄の影響が一番大きいです。元々は父がカヌーをやっていて、まず兄が始めました。私はその後を追うように、小学校3年生の時にカヌーに乗るようになりました。
――最初から「競技」としてスタートしたのですか?
矢澤:いえ、最初は本当にレジャー感覚です。「自転車に乗ってみよう」というのと同じような気軽さで、「カヌーに乗ってみよう」という感じでした。

――初めての川、初めてのカヌー。恐怖心はありませんでしたか?
矢澤:最初は流れのない穏やかな場所から始めたので恐怖心は全くありませんでした。むしろ、兄が楽しそうに漕いでいるのを見て「羨ましい、私もやってみたい!」というワクワク感の方が強かったですね。
――そこから、いわゆる「急流」へと挑むようになるわけですが、最初から飛び込んでいけるものなのでしょうか。
矢澤:父が常に安全を見てくれていたので、すごく心強かったですね。父、兄、私の3人で川下りをするのが我が家の日常でした。父としては、私にカヌーを嫌いになってほしくなかったんでしょうね(笑)。ネガティブな要素や恐怖心をうまく取り除いて、楽しみながらステップアップさせてくれました。
