――橋本選手が大日に参戦したのが2016年。当時は他の大日の選手に比べると身体が細かったと思います。

岡林:自分も最初は「身体が細いけど…まぁ、なんとかやっていけるだろ」と。でも見る見るうちに身体がデカくなっていきましたね。やっぱり大日の選手が大きいので「俺もなんとかしないと」と思うんじゃないですかね。

――先ほど「橋本選手はタイトルを獲得してから、チャンピオンらしくなってきた」とおっしゃってましたが、岡林選手ご自身は過去を振り返った時、どうでしたか?

岡林:あれは大日本プロレスの1回目の両国国技館大会メインイベント、関本さんとのタイトルマッチですね。あの試合は正直、あんまり覚えてないですね。

――ほとんど記憶がないんですか?

岡林:要所要所しか覚えてないんですよ。「関本大介を絶対倒す」という気持ちが強すぎて、周りが見えてなかったというか。

――試合前、正直僕は関本選手が勝つと思ってました。でも関本選手の対角線にいた岡林選手の気迫が、いつもとは違ったように感じました。

岡林:あの時、関本さんはいつも通りのスタイルで自分を迎え撃ったと思うんですよ。でも自分は火事場のクソ力じゃないですけど、3日くらい前から夜も眠れない気持ちでした。緊張もしていたし「ここで勝てなかったらプロレスラーを辞めよう」というくらい自分を追い込んでいましたね。

――それは両国大会のメインという重圧もありましたか?

岡林:それもありましたね。メインを任された以上「やらないかん!」「勝たないかん!」と3日前から身体中のアドレナリンが出てました。周りからは「今からテンションが上がっていては、試合当日まで持たないぞ」と言われてましたね(笑)。

――いろんな思いを抱えて、ストロングヘビー級王座を獲得したんですね。ところで、まもなく地元高知に凱旋しますが、岡林選手はどんな学生でしたか?

岡林:とにかく勉強が苦手でしたね。習い事とかしても続きませんでした。唯一小学時代6年間続いたのは相撲でしたね。その間にクラブ活動は、野球が半年・サッカーが3ヶ月しか続きませんでした。

――格闘技が合っているんですね。

岡林:相撲も嫌々でしたけど。親父が「わんぱく相撲」の監督で、兄貴と2人で小学時代は相撲を。でも自分は欲がなくて「勝ちたい」と思わないんですよ。

 大会とかも「この試合を早く終わらせて、家に帰ってゲームしよう」と考えてました。毎回親父に怒られてましたね(笑)。

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