ベンドラメ礼生 サンロッカーズ渋谷一筋6年間のこれまでと培われた”結”のバスケ「チームのバスケを全員が理解をし、表現できる状態が常にある」

東京五輪に選出されるも「不完全燃焼でした」
また、SR渋谷での活躍にとどまらず、日本を代表する選手へと駆け上がっていった。

18年には「第18回アジア競技大会」 男子日本代表、19年2月には「FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区2次予選 (Window6) とそれぞれ選出。

そして、昨年には東京五輪で日の丸を背負ってプレー。トップレベルの選手たちによる激しい代表争いを勝ち抜いての選出だった。

「日本代表は五輪に限らず常に目標に置いてプレーしています。ここでもすごいプレッシャーのある中で練習していましたし、明日誰が落選するか分からない状態でやっていたので、選ばれた時はほんと嬉しかったです」

母国で開催された五輪、SR渋谷で培ったバスケを武器にアピールをした。

「僕はいつも通りのバスケットをするように心がけました。サンロッカーズでは、ディフェンスにプライドを持ってやっていたので、代表に入ってもそこは人一倍頑張りましたし、力は発揮できたのではないかと思います」

代表争いに勝ち、五輪にも出場した(©SUNROCKERS SHIBUYA)

ただ、ここでは高い壁を感じた。出場選手は八村塁や渡邊雄太、馬場雄大といった海外組もメンバーに名を連ねており、国内トップ選手だけでなく世界で戦う選手で構成されていた。

結果、大会での出場は2試合。プレータイムも2分弱に終わった。

「不完全燃焼でしたね、正直コートに立ったことも覚えていないです」

ベンチで出番を待ちながらも、各国を代表する選手のプレーを間近で見ることができた。これも大きな収穫かつ、シーズンに向けて切り替えられる要因にもなったという。

「コートレベルで世界トップレベルの選手のプレーを見ることができたのは、今後の成長に繋がると僕の中で落とし込めているので、良い経験だったと思います」

不完全燃焼の想いを晴らすべく、そしてSR渋谷を優勝に導くべく迎えた昨シーズン。激闘から休む間もなく迎えた。

チームとしても序盤首位争いし、最後までチャンピオンシップ(CS)出場を争った。しかし、ベンドラメ選手や伊佐HCが揃って口にした、大黒柱のライアン・ケリーが椎間板ヘルニアによる離脱などが影響し、惜しくもCSには届かなかった。

五輪を経て「バスケができる楽しみ」を改めて感じた。(©SUNROCKERS SHIBUYA)
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