【日本障害者カヌー協会 上岡央子】水上だと障害者と健常者が同じ立場でいることができる(前編)

――服飾関係の仕事をしていた上岡さんが、どのような経緯でパラカヌーに携わることになったのですか?

上岡:実は母が結婚する前、重度障害児の施設で保母をしていました。私たち兄妹が生まれることで母は施設を退職したのですが、母が関わりを持った障害がある方たちに私たち兄妹は幼少時代から遊んでもらう機会が多くありました。

大人になり私は独立し店舗を構えていました。母は障害福祉関係の仕事に復職しましたが、福祉関係はつねに人材不足。そこで週1,2回手伝うことにしました。それが障害者福祉の仕事に入るキッカケです。

最初は主に移動支援という関わり方です。USJや映画やお買い物に一緒に行く支援です。障害ゆえに切符が購入できない人、一人では電車移動が困難な人、食事を一人で取れない人などがいます。だから出かけないとか家族としか出かけないではなく、サポートがあれば出かけることは可能になります。そのサポートをする仕事をしていました。一緒にいろいろな場所に出かけ、お互いに初めての経験ができてとても楽しい仕事でした。5年間続けて介護福祉士の資格を取りました。

そんな時、私が勤めていた事業所の障害者数名とサポートメンバーで「カヌーに乗りたいよね」という話になりました。何も分からないままコンタクトを取ったのが日本障害者カヌー協会の前会長でした。前会長は「みんなで楽しくカヌーに乗ろうよ」と体験できる機会を作ってくれました。

いつもサポートしていた先天性障害を持つ女性と一緒に初めてカヌーに乗りました。そこで私は車いすに乗っている女性と同じ感覚で初めてのものに触れることができたのです。それまではどうしてもお互い「サポートする側」と「サポートされる側」という外すことのできない関係性がありました。でもカヌーをする瞬間、この関係性を外してお互い一緒の感覚で「初めてのカヌー」を楽しむことができました。水上だと障害者と健常者が同じ立場でいることができる。車いすの「あるなし」に関わらず…カヌーは可能性を秘めているスポーツだと感じました。

その後、前会長に依頼されボランティアで小学校の体験会を何回かお手伝いさせてもらいました。ある時、会長から「日本障害者カヌー協会の事務所を東京で立ち上げるけど手伝ってくれる人がいない」と相談され「だったら私がお手伝いしましょうか?」と。それで2016年11月に上京しました。

当初、任意団体として前会長が1995年に日本障害者カヌー協会を設立し「カヌーを障害者もレクリエーションで遊べる機会を作りましょう」と活動していました。2017年4月に一般社団法人という形で法人化しましたが、イチから前会長と一緒に法人化の手続きをしました。「一般社団法人とNPOの違いは?」「社団法人法とは?」等、とにかく法律を始め様々なことを学びましたね(笑)。

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