12.1新宿FACEで「KANREKI CARNIVAL」を開催する山崎五紀(左)立野記代(右)
デビル雅美がJBエンジェルス結成と関係性の変化
――お二人は共に1981年デビューし、1984年デビル軍団解散後、タッグを結成していますね。
立野:デビル(雅美)さんが言葉を間違えた時ですね。本当はデビル軍団にいたダンブ松本とクレーンユウを追放するはずだったのに、デビルさんがマイクを握って「解散!」を口にしたんです。
山崎:そうだっけ?
立野:そうそう。本当はデビルさん、ベビーフェイスやりたくなかったんじゃないかな?
山崎:デビルさんに確認しておくよ(笑)。
立野:最初はタッグ名が「フレッシュ・コンビ」でしたが、1986年3月に改名してJBエンジェルス(ジャンピング・ボム・エンジェルス)に。JBエンジェルスとしては40周年です。
――JBエンジェルスはベビーフェイスで、アイドル活動もされた異色のタッグでした。
立野:そうなんです。でも本音を言えば、私たちは“プロレスをやるためにここにいる”と思っていたから、歌とかまったく興味がなかったんです。会長室に呼ばれてレコードデビューの話をされた時も、二人そろって「やりません」ってはっきり断ったくらいです。
でも契約しちゃったから「やるしかないよ」って言われて。会社の方針だから、従うしかなかったですね。
――「CHANCE×3」で歌手デビューもされましたね。
山崎:女子プロレスブームの真っただ中、「ぜひJBエンジェルスで」とCBSソニーさんから指名をいただいて、全面的に協力してもらったんです。
立野:でも当時、私たち仲が悪くて(笑)。お互い「え?あんたとやるの?」「いや、無理だから」って感じでした。
