【ガンバレ☆プロレス 翔太(1)】高2の時エディ・ゲレロが亡くなった。だったら自分がエディみたいな試合をしよう

――高校では甲子園を目指して練習に励んでいたのですか?

翔太:「野球が好きだな〜」ぐらいで、そこまでじゃなかったですね。甲子園は嫌いでした(苦笑)。「なんであんな全力疾走しなきゃいけないんだ」と。大声を出さなきゃいけないとか先輩の前で、直立不動で礼をするとか、当時は「なんて非効率なんだ」と思っていました。今は「良い文化だな」と思いますけど(笑)。

15歳の僕は尖った高校生で「高校球児は坊主で、なぜメジャーリーグみたいにシュッと格好良い野球ができないんだ」と。「野球ができればいいかな」くらいに考えていました。今振り返ると「もっと打ち込まなきゃダメだったな」とすごく思いますね(苦笑)。

――その後、大学に進学。ここで「UWF関東学生プロレス連盟」に所属。どんな経緯があったのでしょうか?

翔太:中学、高校とWWEにハマるんですよ。G+を観ていてCSのチャンネルを回していたらスポーツチャンネルでWWEが僕の目に飛び込んでくるわけです。そして脳が「これはどうやらプロレスらしい」と認識。とにかくお客さんの数に衝撃を受け、どっぷりWWEにハマりましたね。それが2003年です。高校のホームルームを抜け出してJ Sportsの初回放送に間に合うために帰宅しました。何日か待てば再放送があるんですけど、その時は「どうしても初回放送を見なきゃダメだ」と思ってSmackDownとRAW、家に帰って観ていました。

この時、エディ・ゲレロがスターになる直前でした。チャボ・ゲレロ・ジュニアとのタッグ「ロス・ゲレロス」を解消しブロック・レスナーを倒してWWE王者になるまで本当にリアルタイムで観ていました。そして2005年、僕が高校2年の時にエディが亡くなってしまった。

あの頃、ガラケーは有りましたけど図書館に行かないとインターネットが使えなかった。そして先輩から「エディ・ゲレロ死んだぞ」と聞かされた。嘘だろうと思って英語のYahoo!ニュース的なサイトを見たらどうやら本当らしい。

「もうエディの新しい試合が観られない」とすごくショックでした。だったら「自分がエディみたいな試合をしよう」と思って高2ぐらいから頭の片隅にプロレスラーになりたいという思いが出て、それが高2から高3にかけてだんだんデカくなっていきました。だから野球をやりながらスクワットばかりしてました(笑)。

――「野球上手くなろう」じゃなくて完全にプロレスラーになる人ですよね(苦笑)。

翔太:当時の野球部のメンバーには申し訳ないことをしたなと思っています。部活の時、「今日は雨だから室内で基礎体力をやろう」となると僕は率先して「みんなでスクワットやりましょう」と(笑)。

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