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キッカケは“たけしプロレス軍団”
――”たけしプロレス軍団(TPG)”に応募されたのが、プロレスラーになるきっかけだったとか?
邪道:”ビートたけしのオールナイトニッポン”のラジオを聴いてた時に、たまたま「TPGの練習生募集!」って告知があって、「じゃあやってみようかな」と思って応募しました。もし、新日本プロレスの募集を先に知ってたら新日本に行ってたし、全日本の情報が先にあったら全日本に行ってたと思います。
――それは高校生の時?
邪道:おそらく、高校を卒業した頃だったと思います。
――TPGは1988年、“ビートたけしのオールナイトニッポン”の企画でスタートしました。その前後には両国国技館で大きな暴動事件(1987年12月27日の両国国技館大会で、TPGを原因として起きた新日本との暴動事件)もありましたね。
邪道:応募したのはその前ですね。合格した人はみんな、あの両国に呼ばれましたから。
――あの両国暴動を会場で実際に見ていたんですか?どんな雰囲気でした?
邪道:まあ…なるべくしてなったな、って感じですね。