――その頃のプロレス界は、藤波さんのジュニア時代があり、続いてタイガーマスクのブームがありました。
邪道:新日本だけじゃなく全日本も観ていましたね。ダイナマイト・キッドの試合はもちろん、アントニオ猪木さんが延髄斬りで(番組終了間際の)8時58分頃に試合を締めて番組が終わる、といったところまで全部です。
全日本では『ミル・マスカラス、すごいな』とか、『ブッチャー太ってんなあ』とか、そんな風に楽しんでいましたね(笑)。
――会場には足を運んでいましたか?
邪道:いや、それが…どうやって会場に行ってプロレスを見られるのかも分からなくて、テレビで観てるだけでした。実際に会場に行くようになったのは、高校に入ってからですね。
――プロレスラーになりたいという気持ちは、その頃からお持ちだったのでしょうか?
邪道:今と違ってインターネットがない時代でしたから、プロレスラーになる方法など、全く分かりませんでした。
会場にも足を運んでいませんでしたから、パンフレットに『新弟子募集』と書いてあっても、目にする機会もなかったんです。本気で目指そうと思ったのは、中学か高校の頃からだったと思います。