最多勝を獲得した有原航平は6年ぶりに日本ハム復帰を決断した(写真はイメージ)
ソフトバンクを自由契約になった有原航平の争奪戦は年内にピリオドが打たれた。移籍先として決めたのは古巣の日本ハムだった。
ソフトバンクを自由契約になった有原航平 メジャー復帰を視野も巨人らNPB球団が獲得調査へ
4年総額24億円規模という大型契約で、6年ぶりの復帰が決まった。
有原は早大から14年ドラフト1位で4球団競合の末に日本ハムへ入団。1年目から防御率は4. 79ながら8勝を挙げると、2年目の16年には初の2桁となる11勝を挙げチームを日本一へ導いた。
さらに19年には15勝でパ・リーグ最多勝のタイトルを獲得。20年オフにポスティングシステムを利用してのメジャーリーグへと挑戦し、レンジャーズと2年契約を交わした。
しかし右肩動脈瘤の手術を受けた影響もあり、2年間通算で15試合の登板に終わり、3勝7敗・防御率も7.57と本来の実力を発揮できなかった。
日本球界への復帰を決断し、23年1月にソフトバンクと3年総額15億円(推定)とも言われる大型契約で入団。
この移籍には物議を醸しており、FA権を持たない中で国内球団へ移籍した例として、後に上沢直之も続いたことから“有原式FA”・“上沢式FA”などと揶揄されることになった。
ただ、ソフトバンク移籍後はその実力を見せつける。在籍3年間全て2桁勝利となる通算38勝をマークし、2年連続で最多勝も獲得するなどエースとして日本一に貢献した。
その日本シリーズ終了翌日に、再度メジャーに挑戦する意向を含んだ報道がされていたことから、メジャー復帰の可能性が取り沙汰されていた。
一方で自由契約であったことから先発投手に課題のある巨人が調査を開始。そして日本ハムも参戦し、再び大型契約で北海道の地に戻ってくることとなった。
背番号はダルビッシュ有や大谷翔平が背負った「11」以外になる予定。同じく2年連続で最多勝を分け合っている沢村賞投手・伊藤大海との共闘することとなり、10年ぶりの日本一に強力なピースが加わった。
記事/まるスポ編集部
