【DDTプロレス 大石真翔(1)】プロレスファンは「1度はプロレスラーを目指すもの」だと思い込んでいた

――プロレスの入り口が越中詩郎選手や木村健悟さんの平成維震軍だったのですね。

大石:ただ僕の住んでいた静岡県富士市はプロレスの興行がなかなか開催されなかった。数年に一回、新日本や全日本が来る。全日本女子プロレスは定期的に大会を開催していましたね。当時年間300試合。アジャ・コングさんやブル中野さんがトップの時代です。

中学の時、全女は何度も観戦しました。今思えば姉の部屋にクラッシュギャルズのポスターが貼ってあった(苦笑)。

高校生になり初めて観た男子プロレスがFMW。Dr.ルーサーというハンニバル風のマスクをした選手がいて魅了されました。いきなり体育館のドアが開いてDr.ルーサーに襲われたんです。普通に生活していて拘束具をつけたレスラーに襲われることなんてないじゃないですか?「なんだこりゃ、超面白い!」と感じました(笑)。

でも90年代は身体の大きい人がプロレスをしている時代。高校生になって週刊プロレスを見るようになり、みちのくプロレスや闘龍門の旗揚げを知りました。「僕と同じくらいの身長のレスラーが活躍している」と。

当時、僕は新聞部で格闘技の経験がなかった。「プロレス好きな文系男子」。日本大学三島高等学校だったのに勉強不足で日大に進学できず(苦笑)。でも親の会社を継ぐため、土木関係の大学に行く必要がありました。いろいろな大学を受験し合格したのが青森にある八戸工業大学です。

東北ということは4年間みちのくプロレスが観られる。それに八戸工大のパンフレットにはレスリング部やサンボ部もあると記載されていた。

その頃サンボと言ったら、みちプロのスペル・デルフィンさんや馳浩さん、吉田万里子さんら渋いレスラーがやっている格闘技というイメージ。それで「やってみよう」と。自分からやってみようと思ったスポーツはサンボが初めてでしたね。

サッカーも水泳も親から勧められて取り組んだものです。ちなみに高校の時に水泳をやらなかったのは同じ学年に全国中学校水泳競技大会女子100m・200m平泳ぎで2冠を達成し、バルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した「岩崎恭子」がいたから。金メダリストと一緒に練習するのは、ちょっと(笑)。

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