藤浪晋太郎は終わらない。斉藤和巳、伊良部秀輝…「制球難」を乗り越え、覚醒を遂げた伝説の剛腕たち(写真はイメージ)
伊良部秀輝:剛腕の「覚醒」と「季節の異名」
ロッテ入団2年目(1989年)、西武・清原和博との対決で当時の日本最速156km/hを計測。その球威は誰もが認める一方、制球難から自滅する場面も多く、数年は試練の時を過ごした。
転機は1993年。シーズン後半に「投球のコツ」を掴むと、そこから破竹の7連勝を記録。それまでの先発・救援兼任から不動のエースへと登り詰めた。夏場に滅法強いその姿は、お盆を過ぎた頃に現れる猛毒に例えられ「伊良部クラゲ」の異名で恐れられた。
斉藤和巳:隣の病室から聞こえた「復活への足音」
ダイエー(現ソフトバンク)入団3年目、持病の「ルーズショルダー(※)」が悪化し、右肩手術を決断。絶望の淵にいた斉藤を変えたのは、隣の病室に入院していた先輩・小久保裕紀の姿だった。早朝から黙々とリハビリに励む小久保の背中に、自身の甘さを痛感し一念発起。2003年には沢村賞をはじめタイトルを総なめにする。
※動揺肩。関節の可動域が広く、ムチのようなしなりを生む反面、肩が外れやすく故障のリスクと隣り合わせの状態。
2007年、CSでの力投が結果的に現役最後のマウンドとなったが、その生き様は今も多くの後輩たちの指標となっている。
石井一久:四球を「必要経費」と呼んだ天才の合理性
1991年、「10年に1人の左腕」の期待を背にヤクルト入団。1998年には奪三振率の日本記録を樹立する一方で、シーズン最多暴投(20)のワースト記録も塗り替えた。しかし、石井は四球を「失点を防ぐための必要経費」と割り切り、自らのスタイルを貫いた。
記録に執着しない天才肌で、1997年のノーヒットノーラン達成時も、8回終了時点で「疲れたから」と降板を申し出たという。捕手・古田敦也に「今日だけは投げろ」と諭されて掴んだ大記録。この「良い意味での図太さ」こそが、制球の呪縛を解く鍵だった。
編集/まるスポ編集部
