俺達のFMW マンモス佐々木編 「第3回 修羅を受け止める(後編)」

――FMWを見続けてきたファンはマンモス選手と同じ思いなのではないでしょうか。FMW崩壊後にWEWとWMFと二つに分かれましたが、いつか一緒にやってくれたらと…。

マンモス:映画「仁義なき戦い」みたいなんですよ。誰が誰の顔を立てるとか、誰が誰を盾にするとか色々とあって…。もっとみんな素直になれば…。

――そうですよね…。ここからは大怪我を負ったハヤブサさんの話になります。ハヤブサさんは2001年10月22日にマンモス選手との試合で頸椎損傷という大怪我を追い、事実上の再起不能状態となりましたが、必死にリハビリに励みプロレスラーを引退することなく、リング復帰を諦めずに最後まで闘い続けました。

またシンガーソングレスラーとしての活動を去れていて、積極的にライブ活動をされていました。しかし、2016年3月3日に、くも膜下出血で帰らぬ人になりました。ハヤブサさんが亡くなったという一報はどこで知りましたか?

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マンモス:あの……ある方から「噂でハヤブサさんが亡くなったと聞いたけど本当なの?」とLINEがきたんですよ。「そんなわけないでしょう」と思っていたんですけど、これは確認しないといけないという気持ちになって、ハヤブサさんが住んでいる蒲田にいったんですよ。

よく定期的にライブをやっていた店のマスターに聞くと「そうなんだよ、亡くなったんだよ…」と。それで「今、どこにハヤブサさんはいるんですか?」と聞くと「蒲田警察署にいる」とのことだったので、すぐに警察署まで乗り込んでいったんです。ハヤブサさんに会わせてほしいと…。

――はい…。

マンモス:でも警察では検死の作業とかもあったようで、「亡くなったのか、亡くなっていないのか教えてください!」と聞いても「ハッキリしたことは言えない」と言われて…。そうこうしているうちに、ハヤブサさんのお母さん、弟さんと合流しまして、そこでも僕は「ハヤブサさんが亡くなったのですか?にわかに信じられないんです!」と言ってました。この話を信じたくなかったですから。

――確かにマンモス選手の立場ならば、そうでしょうね…。

マンモス:それでJR蒲田駅前にある「串猿」という焼き鳥屋がありまして、そこでライブがある日にハヤブサさんが来なかったんですよ。営業終わってから、店の店主がハヤブサさんの家に行ったら、亡くなっていたということなんです。

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