2024年パリオリンピックでの死闘に、心を揺さぶられた人も多いはず(写真はイメージ)
日本女子卓球界において、今や誰もが認める“絶対的エース”となった早田ひな選手。身長167cmから繰り出される男子顔負けの強烈なフォアハンド、そして何より観る者の心を揺さぶる「不屈の精神」は、いかにして育まれたのでしょうか。
これまでの歩みと、日本中に感動を与えた2024年パリオリンピックでの死闘を振り返ります。
1. 黄金世代の影から「日本の顔」へ
早田選手は、伊藤美誠選手や平野美宇選手と同じ2000年生まれの「黄金世代」の一人です。
若くして頭角を現した同世代の二人がリオ五輪や世界選手権でメダルを獲得する中、早田選手はあと一歩のところで代表の座を逃すなど、悔しい時期を過ごしてきました。
しかし、彼女はそこで立ち止まりませんでした。自身の武器である豪快なドライブに加え、繊細な技術と戦術を磨き上げ、2023年には世界選手権でメダルを獲得。名実ともに日本女子のトップへと駆け上がりました。
2. パリ五輪の衝撃:左腕を襲った異変
悲願のシングルス代表として挑んだ2024年パリオリンピック。順調に勝ち進んだ準々決勝のピョン・ソンギョン(北朝鮮)戦、激闘の最中に早田選手の左腕に異変が起きます。
負傷の状況: 診断名は「尺側手根伸筋腱(しゃくそくしゅこんしんきんけん)の亜脱臼」。
絶望的な痛み: 箸を持つのも、髪を結ぶのも困難なほどの激痛が走り、バックハンドを振ることすらままならない満身創痍の状態に陥りました。
準決勝では世界女王の孫穎莎(中国)に敗れたものの、その腕には痛々しいほど幾重にもテーピングが巻かれ、彼女の追い込まれた状況を物語っていました。
3. 3位決定戦、開始5分前の決断
迎えた銅メダル決定戦。相手は韓国の実力者、シン・ユビン選手でした。
試合開始のわずか5分前、早田選手は痛み止めの注射を打ってコートに立つ決断をします。
「この舞台を4年後に経験できるかわからない」という覚悟、そして支えてくれた周囲への感謝が、彼女を突き動かしました。
バックハンドが使えない分、必死に回り込んで得意のフォアハンドで攻め続ける姿は、まさに執念そのもの。最終セットまでもつれ込む大接戦の末、勝利が決まった瞬間、彼女はその場に泣き崩れました。
「1人になると自然と涙が出てきてしまうほど追い込まれていました。でも、諦めるわけにはいかなかった」
後にそう語った早田選手の胸に輝いた銅メダルは、単なる順位以上の重みを持つ「傷だらけの勲章」でした。
4. そして「シーズン2」の幕開けへ
パリ五輪後、しばらくは怪我との戦いが続きましたが、2025年後半には「普通に卓球ができるのが楽しい」と語るほどに回復。現在は、さらに進化したプレースタイルで、次なる高みを目指しています。
