2018年の「第33回キングスカップ世界選手権」にて。女子ダブル種目で銅メダルを獲得した槙尾渚選手(右)と、コーチとしてチームを支えた矢野順也氏(写真/本人提供)
「空中の格闘技」と呼ばれるスポーツがある。バドミントンと同じ高さのネットを挟み、足や頭だけを使ってプラスチック製のボールを操る。時速140kmを超えるアタック、それをレシーブするために宙を舞う選手たち。
そのアクロバティックな光景に魅了された一人の男がいる。日本セパタクロー協会事務局長の矢野順也氏だ。日本におけるセパタクローの夜明けから現在までを、大学での創部、日本代表選手、そして裏方として見つめ続けてきた。
2026年9月、愛知・名古屋で開催される「アジア競技大会」を前に、彼は静かに語り始めた。その言葉の節々には、ゼロから道を築き上げた先駆者ならではの矜持と、競技への深い愛情が滲んでいた。(取材・記事/大楽聡詞)
■9世紀から続く伝統と、フジテレビが運んだ「奇妙な縁」
――競技の成り立ちから教えていただけますか。
矢野:セパタクローはマレー語で「蹴る」、タイ語で「編んだボール」を意味する名前の通り、非常に歴史の古い競技。諸説ありますが一般的には9世紀頃の東南アジアが発祥と言われています。1000年以上前、籐(ラタン)という植物を編んだボールを輪になって蹴る遊びがルーツです。
――日本でいえば、平安貴族が興じた“蹴鞠(けまり)”に近い成り立ちと言えるかもしれませんね。
矢野:そうです。海に囲まれた東南アジアの国々で、それぞれ異なる呼び名で親しまれていました。やがて「輪になって蹴るだけでは物足りない」ということから、ネットを挟んで対戦する現在の形へ派生していきました。1965年にはルールが統一され、東南アジアの国際総合スポーツ大会「SEAゲームズ(旧SEAPゲームズ)」の正式種目となりました。
――日本に上陸したのは、いつ頃だったのでしょうか?
矢野:1989年、きっかけはメディアのイベントでした。1983年から92年まで、フジテレビが代々木エリアで「国際スポーツフェア」を開催。その中で「東南アジアの珍しいスポーツを呼ぼう」という企画が持ち上がったんです。
タイなどのトップ選手を招いて披露した際、運営を委託されていたのがレスリング関係者でした。
――レスリングですか。意外な組み合わせです。
矢野:当時、協会の故・平野名誉会長は日本レスリング協会に携わっており、代々木体育館を拠点に活動されていました。その縁で初めて目にしたセパタクローに「これは面白い!」と大きな衝撃を受けたそうです。 当時すでに60歳を超えていらっしゃいましたが、一念発起して協会を設立。そこから日本におけるセパタクローの歴史が動き出しました。
