2018年の「第33回キングスカップ世界選手権」にて。女子ダブル種目で銅メダルを獲得した槙尾渚選手(右)と、コーチとしてチームを支えた矢野順也氏(写真/本人提供)
■インターネットなき時代の「執念」と、日体大でのゼロからの創部
――矢野さんご自身が競技を始めたのは1994年。当時はまだ認知度も低かったはずですが、なぜセパタクローを選んだのですか。
矢野:私の原点は、さらに遡ります。幼い頃、夕方のニュース番組で流れた一枚の「白黒写真」が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いているんです。
それは「裸足の選手が竹で組んだネットを挟んで、オーバーヘッドキックでボールを蹴っている」という写真。その一瞬の躍動感に、心を射抜かれました。
――動画ではなく、一枚の写真ですか…
矢野:はい。ただ、当時はネットなんてありませんから、調べようにも何の情報も出てこない。でも「セパタクローという凄いスポーツがある」ということだけを胸に、ずっとサッカーを続けて育ちました。そして日本体育大学(日体大)へ進学する際、「この大学ならあるはずだ。なければ自分で作ろう」と決めていました。

――実際、日体大にはあったのでしょうか?
矢野:ちょうど私が1年生の時、4年生の先輩方が「セパタクロー部」を作るタイミングでした。「あった!」と即座に飛び込みましたね。ただ、現実は過酷でしたよ(笑)。部員は全員、ルールすら完全には把握していない。ネットの高さも分からない。
――まさに手探りの状態ですね。
矢野:「どうやらバドミントンのネットの高さと同じらしいぞ」という噂を頼りに、外のグラウンドのタータン(陸上用トラック)の上に支柱を立てて、毎日泥だらけになって蹴っていました。
