――その時、GAMIさんは落ちてしまったのですか?

GAMI:「親の承諾がありません」と馬鹿正直に答えてしまったので(苦笑)。翌年、高校3年の時は書類選考で落ち、心がポキッと折れました。それで母が全女に電話し「うちの娘、去年は最終まで残ったのに、なんで今年は書類選考で落ちたんですか」と抗議しました。そしたら「去年、最終まで残っても今年はどうなるか分からないので」と返答されたそうです。

ただ、のちのち話を聞いたら、かなりの数の書類が届いたらしく、まずは机の上で大量の書類の入った段ボールを開く。その時点で机から落ちた書類は「運がなかった」と言うことで不合格だと。どこまで本当か分からないですけどね(苦笑)。

クラッシュ世代の私にとっては、アルシオン時代に飛鳥さんと組んでタッグベルトを獲得したし、長与さんとも仕事上でいいお付き合いをさせて頂いているので30年以上かけて夢が叶いましたね。

――クラッシュギャルズやダンプさんがTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」に出演していて、世間的にも知名度が高かったですよね。

GAMI:そうです。今では絶対に放送できないコンプライアンス引っかかりまくりの番組だけど(苦笑)。

――ところで1度は心が折れたプロレスへの情熱が復活したのは、どうしてですか?

GAMI:最初の全女のオーディションでキューティー鈴木さんと連絡先を交換していました。その時、私は大森ゆかりさんと同じ水着を着ていました。

書類選考で落ちたキューティーさんが、オーディションを見学に来ていて、「なっちゃん(大森ゆかりさんの愛称)と同じ水着だ」と話しかけてくれて、連絡先を交換したんです。

高校3年の時、キューティーさんから、「私プロレスラーになれました」と手紙が届きました。それでジャパン女子の大阪城ホールの旗揚げ戦を観に行きましたね。

この時、リング上で少女隊が歌った後、少女隊のファンが帰ったんですよ。それ見て「えっ、プロレス見えへんの?」と思いました。それがトラウマになって、プロレスの試合中に歌とか踊りを入れるのが嫌いですね(苦笑)。

1987年、高校卒業し親の後押しもあり上京しジャパン女子のプロレス教室に入りました。今のスポーツライクなプロレス教室ではなく、「ホンマにプロレスラーになりたい人のためのプロレス教室」ですね。

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