995年7月の後楽園デビューから31年、タイガーはその歴史に幕を下ろした
【全文コメント】「31年間に悔いはない」バックステージで全てを語ったタイガー

タイガー「マスコミの皆さん、新日本で出会った方もいるとは思いますけども、31年間、本当にお世話になりありがとうございました。いろいろ生意気なこと言ったりとかしてましたけども、本当に皆さんが盛り上げてくれたからこそ、31年間、続けてこれました。本当に感謝致します。ありがとうございます」
──まず2試合振り返っていかがですか?
タイガー「そうですね。緊張ももちろんあったんですけど、技の失敗もたくさんあったんですけど、トータル的に考えて限界かなと。やはりこれがもう自分の限界かなと。
これ以上やっぱりそういうのを隠し隠し試合するのは僕にとっては無理ということで、やはりそこは佐山さんと練習してきて、本当に自分の中ではもう限界ですし、全く悔いはないです、31年やってきて。
一つ悔いが残るとすれば、今日もうちょっと、なんかもうちょっと5分は短いなって焦ってしまった部分もあったし、やはりヒザも悪い、肩も悪い、腰も悪い。それを恥ずかしくなく出したなっていうふうに考えたらそれまでなんですけど、でもあのトム・ビリントン、“ダイナマイト・キッド”トム・ビリントン、素晴らしい選手だと思います。
この先、新日本のシリーズに僕は出てほしいなと思います。ジュニアの選手とやれば素晴らしい試合になると思うし、彼もまた成長するだろうし、はい。若いっていいなと思いました。って思ってる皆さん、いっぱいいますよね?(笑)」
──試合後のセレモニーにたくさんの方が登場しましたけど、原さんという。
タイガー「そうですね。本当にAKBの武藤姉妹は僕はもう子供の頃から知ってるので、本当に綺麗になったなっていう思いしかないし、あとはザ・グレート・サスケさん、新崎人生さんという僕にプロレスを教えてくれた、一番最初に教えてくれた2人ですし、藤波さんは僕が新日本に入ってきた時の社長であって、やはりジュニアの先駆者であって、ライガーさんは僕を新日本に引っ張ってくれた人で、山崎さんはシューティングの先輩であって、新日本でコーチもやられていた。
あと三浦監督と言いますけど、三浦監督は僕は野球が好きでDeNAで知り合ったんですけども、原監督は先程監督がリング上で言った通り、僕はもう子供の頃から原さんのファンで、野球選手になりたいっていうのはもう原さんを見て思ってたんで。
それがいつの間にか佐山さんにシフトチェンジしたっていうようなことですよね。あとLOVE PSYCHEDELICOのNAOKIさんは、いつもライブに招待していただいて僕も大好きで、武尊選手は本当にサプライズで、メールではやり取りはしているんですけど、まさかこういう形で来ていただけるとは思わなかったです。本当に僕は人に恵まれてありがたいなと思いました」

──あと最後に佐山さんとロックアップされましたけど、その思いは?
タイガー「僕はタイガーマスクというものを佐山先生が名前をくれて、お前だったらタイガーマスクをやってもいいという。佐山先生が作ってくれたタイガーマスクだと思ってました。でも、そのタイガーマスク、佐山先生が作ってくれたタイガーマスクはもう本当に今日が限界でできないと思って。
でも、僕の中での最後は、本当は佐山先生と試合をしたかったんです。でも佐山先生は皆さんご存知の通り、まだ体の調子は良くない。ただ先生にこの今日の話をした時に、先生は『絶対に行く』と。『絶対に行ってロックアップしてやる』って言ってくれたんですね。
で、言ってくれた先生がまさか今日タイガーステップをするとは、これ僕も全く思ってなくて、もの凄いなんて言うんですかね、感激というか感動というか、先生の病気もそうなんですけど、やはり今日の日を目標にしてたらしいです、先生も。
今日は絶対行くんだという目標を持ってて、だから病気っていうのは目標を持ってその日に何かがある、絶対にここまで治さなければいけないって思えば絶対に治るんだなと僕は思ってます。
やっぱり先生は復活すると思ってますし、今日のタイガーステップを見たら絶対に佐山先生はまだまだ、『お前が辞めたんだったら、俺はまだやるよ』って言うぐらいね、できるんじゃないかと思いましたけど、佐山先生はとにかく『お前、よくやった。最高だよ』って言ってくれて、やはり涙が止まらなかったですね、佐山先生の時は。僕のやっぱり師匠だなと思いました」
──マスクを被ってデビューして、被ったまま引退となりました。
タイガー「最初は山口百恵さんみたいにね、タイガーマスクはやはり新日本プロレスで生まれたものですから、この新日本プロレスに返さないといけないんじゃないかと思って、山口百恵さんみたいにマスクを置こうと思ったんですけど、佐山先生にその話をしたら『脱がないでいい』と。
『脱いだら大変だよ』って、そういうふうに言ってくれたので。まあこの先も僕は新日本プロレスに所属はして、レスラーは引退ですけども、芸能系の方の仕事でまだタイガーマスクとして活動はしていきます」
──話せる範囲でいいんですけど、最後に佐山先生に何かコメントっていうのは?
タイガー「いや、さっき言った通り、『お前、最高だよ。とにかく今日までやってくれてありがとう。もう俺もこんな嬉しいことはない』って言ってくれて。それはこっちのセリフですよね。先生が来てくれて、ここまでのことをしてくれるなんて、本当に嬉しい。ロックアップ、皆さん見てもらったと思うけど、もの凄い力が入って、『えーっ!?』って思ったんですよ。
先生、病気ウソじゃねえかなと思って、もの凄い力があったんですよ。『先生一流のジョークなのかな、この長年の病気は』と思うぐらい、本当に力が入ってて、やっぱりタイガーマスクは違うなと思いましたね」
──タイガーマスクとして綺麗な形で引退するのは4代目が初めてなんです。そのへんはどう思います?
タイガー「僕は素顔でデビューしているわけではないので、素顔でデビューしている人はそのまま素顔で引退するということもあるでしょうけど、僕の場合はタイガーマスクとしてデビューして、やはりタイガーマスクで終わるっていうのが筋道じゃないかと思います。
なおかつ、やはり佐山先生にタイガーマスクという名前をいただいているわけですから、簡単に脱いで終わりとか、そういうことはできないなと思いますね」
──マスクでデビューしてマスクで終わりますけど、多分日本人でそういう形でプロレス人生を全うした最長寿記録になると思うんですけど。
タイガー「そういうふうに言っていただくとありがたいんですけど、記録は抜かれるものですから、誰かが抜くんじゃないかなと思いますけど、とにかく先程も言った通り、僕はタイガーマスクでデビューしてタイガーマスクで終わるというのが、僕の一つのプロレス人生じゃないかなと思います」
──逆にタイガーマスクを背負ってここまでやってきて、苦しかったことっていろいろあったと思いますけど。
タイガー「もう腐るほどありますよ。もうデビューして、みちのくプロレスでデビューして2~3年経った頃に、いい調子でバーッと来ていますけど、所詮プロレスとしては、レスラーとしてはまだまだ新人なわけで、やっぱり今まで持ち上げてくれたマスコミの方も、だらしないぞぐらいなね、形で書かれたり、ファンもだんだんそういう部分で言ってくるファンも出てくるわけで、それは当然のことであって、やっぱりそういう時に自分なりに『俺はタイガーマスクをやっていていいのか?』と、『このまま続けていいのか』と、それはもうサスケさんとか新崎さんとかにも相談したことはありましたし、とにかく佐山さんに電話をして『辞めたいです』と何度も電話したことがあります。
そのたびに『何を言っているんだ、お前は。なんで俺の真似をするんだ。お前は俺になんか絶対なれないんだから、なんでお前は今までやってきたシューティングとコラボしたタイガーマスクというのをやらないんだ』と常にそれを言われて、『あっ、そうか。俺は真似してたんだな』と、『自分のオリジナルのタイガーマスクをやればいいんだ』って思った時に、吹っ切れた部分はありました。
もう挫折っていうのは何度もありましたよ。ないわけがないです。僕はマスコミの方は分かるけど、こういうヘラヘラヘラヘラしてる部分があるんですけど、やはり自分の中では苦しいことはいっぱいありました」
──改めて最後にタイガーマスクの原点とも言うべき、ダイナマイト・キッドの遺伝子と触れた感想は?
タイガー「当然彼はダイナマイト・キッドさんのDNAを持ってるわけで、やはり当たりは強いなと思いましたね。これが本家のキッドさんっていうのはもっと凄かったんだろうなと思いますね。それを迎え撃っていた佐山先生はもっと凄いなと。当時のタイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合っていうのは、やはり2人が作った芸術なんでしょうね。
素晴らしいと思いました。あの遺伝子を持っている。だからさっきも言った通り、このまま今日1回のこの大会で終わるのはもったいないです。是非、この新日本プロレスに継続で参戦して、今の若い選手とバチバチやってほしいなと思いますね。僕もキッドさんとはお会いしたことはあるんですけど、まあ素晴らしいですね、彼は。こんな凄いんだなと思いました」
──ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、初代タイガーマスクのライバルはもう1人いましたよね?これでマスク剥がされてたらパーフェクトでしたね。
タイガー「そうですね。小林(邦昭)さんも天国から見てくれて。小林さんは『やっぱ佐山は凄いよ』って言ってんじゃないかなと思いますけどね。
でも、やはりタイガーマスクの終わりはタイガーマスクの歴史として終わりたかったので、今回こういう人選をさせてもらったんですけど、そこに間違いはなかったなと思うんですけど、まあいかんせんあとちょっと時間が欲しかったなというのはありましたね。
慌ててしまった部分が本当に。やっぱり若いっていいですね。若い時期に戻りたいですよ。よろしいでしょうか? 31年ありがとうございました!」
