『断りきれずに始めたカヌーが、人生になった』。杜若高校を日本一へと導き、羽根田卓也選手らを輩出した本田泉氏
■異例のスピードで掴んだ「日本一」への道
――カヌー未経験の顧問が率いるチームが、わずか数年で全国レベルへと駆け上がります。2002年には全国高等学校カヌー選手権大会で杜若高校が男子総合優勝しました。創部から15年での快挙ですね。
本田:それは私一人の力ではなく、強力な助っ人の存在がありました。私が赴任して2年が経った頃、当時の日本チャンピオンでアジア選手権でも優勝をした松代尚也さんが来てくれたんです。
彼は地元・岡崎の出身で、大正大学を卒業後、カヌー部強化のために杜若高校へ赴任してくれました。
――現役トップ選手が一緒に漕いでくれる環境は、生徒たちにとって刺激的だったでしょう。
本田:松代さんが実際に素晴らしい漕ぎを見せてくれる。それを見た選手たちが「先輩に追いつこう」と必死に頑張る。その良いサイクルが生まれました。
私は私で、全国の情報を集めるために「全国高校カヌー連盟」の役員を引き受けたり、インターハイ種目への昇格を目指して各地を行脚したりしていました。

――まさに「情報のハブ」となって、チームを支えたわけですね。
本田:私は素人でしたから、プライドなんてありません。良いものがあればすぐに取り入れる。
「今日から見るポイントを変える。こういう漕ぎ方に変えたい」と、どんどんアップデートしていきました。
国際審判員となって大会に行ったり、ドーピング検査員の資格を取って活動したりと、コーチとして参考になると思われることは色々してきましたね。
――その柔軟性が、強豪校を作り上げた秘訣かもしれません。
本田:頑なにならず、常に「選手にとってプラスになる」と思う方を選んできただけです。部員も最初は3人でしたが、1994年の国体後には55人ほどに増えていきました。
愛知県がカヌーの強豪として認知され、今の活気に繋がっているのは、こうした積み重ねがあったからこそだと思っています。
<#2に続く>
プロフィール
本田泉(ほんだ いずみ)愛知県カヌー協会理事。豊田市カヌー協会会長。1994年の愛知国体を控え、1987年に未経験ながら杜若高等学校カヌー部顧問に就任。独学と現場での研鑽を積み、2002年に創部15年で同校を初の全国制覇へと導く。羽根田卓也選手をはじめとするトップアスリートの育成を支え、強豪愛知の礎を築いた。2005年に杜若高校退職後はスプリントのジュニアナショナルチームの監督・パラカヌーのナショナルチームの監督などを務め、現在は、2026年アジア競技大会の競技責任者(スポーツマネージャー)として、会場整備や運営の陣頭指揮を執っている。
記事/大楽聡詞
編集/まるスポ編集部
