2014年仁川アジア大会にて。セパタクロー女子ダブルスで銅メダルを獲得。(左から)矢野千春選手、青木沙和選手、佐藤雪絵選手、そしてコーチの矢野順也氏(撮影/Katsuaki Iwamto)
■酷暑を越えて、名古屋の地に「金」を刻む
――いよいよ9月、名古屋でのアジア競技大会が始まります。協会としての準備はいかがですか。
矢野:今、最もデリケートに扱っているのは「夏の超え方」です。セパタクローは非常にハードな競技ですが、冷房のない体育館で練習せざるを得ないこともある。
近年の猛暑による熱中症は、一過性のものではなく自律神経を「数年単位」で狂わせるリスクがあります。
――選手を守るための環境作りですね。
矢野:技術もメンタルも、彼らはすでに世界一のものを持っています。それを本番で100%発揮させられなければ、それは協会の責任です。冷房完備の環境確保や高原での合宿計画、体調管理のための摂取物の指導など、非常に細かく、デリケートに準備を進めています。

――メディアや国民の注目もかつてないほど高まっています。
矢野:財務省が発行した大会の記念貨幣に、陸上競技と並んでセパタクローを選んでいただけたことも大きな後押しになっています。でも、私たちが望むのは一過性のブームではありません。愛知のアジア競技大会で金メダルを獲り、それを見た子供たちが「やってみたい」と思ったときに、誰でもボールを手に取れる環境を全国に広げていきたい。
――最後に、矢野さんにとってのセパタクローとは。
矢野:「永遠のオーバーヘッドキック」ですね(笑)。サッカーでオーバーヘッドが決まれば何度もリピート放送されるような「奇跡的なプレー」が、この競技では延々と繰り返される。そのスピード感、アクロバティックな美しさ、そして人間の底力が凝縮された攻防。それが魅力です。
アジア競技大会、彼らが表彰台の一番高いところでどんな景色を見るのか。私はそれを、誰よりも近くで見届けたいと思っています。
(了)
プロフィール 矢野順也(やの じゅんや)
1975年生まれ。小学生の時にテレビで見た一枚のセパタクロー写真に魅了される。日本体育大学入学と同時にセパタクロー部を創設し、本格的に競技を開始。現役時代は日本代表として数々の国際大会に出場し、日本セパタクロー界の礎を築いた。引退後は普及と強化の両面で尽力し、現在は一般社団法人日本セパタクロー協会事務局として活動。30年以上にわたり競技を支え続ける先駆者であり、2026年9月に愛知で開催される「アジア競技大会」の成功に向けて奔走している。
記事/大楽聡詞
編集/まるスポ編集部
